過去のコラムでは、ドイツではすでに「気候保護法」が策定され、2050年までに気候中立、30年までに55%削減(1990年比)が法制化されていることを紹介した。しかし、2021年4月29日には、ドイツの連邦憲法裁判所(最高裁)において、この気候保護法は一部、違憲であるとの判断が下された。そのことから秋の総選挙を控えた独政府は、夏休みに突入する前に、30年までのさらなる目標値の引き上げと気候中立の前倒しについてバタバタと議論しようとしている。この一連の急速な展開について、今回は解説する。(ジャーナリスト兼環境コンサルタント・村上敦)
■基本法(憲法)における第20 a条
ドイツではまだ憲法が制定されていない。これは歴史的な経緯によるもので、戦後の旧西独で有効であった国の統治の根本となる法律は、あえて憲法(Verfassung)とは呼ばず、基本法(Grundgesetz)とされ、ドイツ再統一を成し遂げてから憲法は制定される予定であった。しかし、旧西独に旧東独が編入される形で再統一され、旧西独の基本法はそのまま改正を重ねながらドイツ連邦の基本法として継続している(現在のところ具体的には憲法制定は計画されていない)。
ドイツの基本法は制定されてから、すでに60回以上の改正がなされている。その中で、1994年に行われた改正では、第20 a条(自然生活基盤の保護義務)が追加された。この条文を私なりに意訳する:
「国は(立憲主義に則った国家権力を行使して)、将来世代に対する責任のため、自然生活基盤、および動物を保護すること」
※正確には、上記の( )内は、「基本法に沿う秩序の枠組みの範囲内で、立法と、法の基準に則った執行と裁判を通じて」であるが意訳した。
※2002年の改正で「および動物」の一語が付け加えられた。
さて、ドイツでは基本法が国(政府、国家権力)の役割と権限を規定する立憲的な意味合いが強いのを特徴とするが、ドイツ型の違憲審査制によって、その他の法規が基本法に則っているのかどうかを独立して審査する役割が憲法裁判所には期待されている。
今回は、欧州ではすでに日常の活動とまで広がった温暖化対策を訴える活動「未来のための金曜日(Fridays For The Future)」(FFF)の若者らが、現在のドイツ政府の気候保護の取り組み(気候保護法の規定)は、上述した基本法第20 a条に違反するとして提訴した。憲法裁判所は違憲性を審査した結果、十分に合憲ではあるが、一部は違憲という見解が出されることになった。
具体的にはパリ協定の枠組みや気候保護法の目的である、産業革命の前との対比で、地球の平均気温上昇を2℃を十分に下回り、可能な限り1.5℃までに留めるというのは、基本法第20 a条に合致する見解ではあるが、以下のグラフと解説を見れば明らかなように、31年以降の気候中立までの道のりが極端に険しくなる可能性が高いため、そのことを透明化し、31年以降の目標と対策についても規定しないことには、将来世代の自由に著しく制限がかかるであろうことを問題視したのである。したがって、憲法裁判所は31年以降の明確な排出削減目標と対策を22年末までに設定するよう政府に求める判断を下した。
■気候保護法の復習と50年までの道のり
ここでドイツにおける温室効果ガスの排出量の推移と現在の法的枠組みである気候保護法についておさらいをしておこう。気候保護法では、単に国としての温室効果ガスの削減数値目標を掲げただけではなく、国内の温室効果ガス発生部門を6つに分け、それぞれの部門ごとに年間の温室効果ガス排出許容量(CO2換算値)を30年まで毎年規定して、それらの数値目標の達成が得られない場合は、担当省庁において翌年からより強力な対策を行うことを可能としている。
この気候保護法では同時に、国の行政機関においては、30年までに気候ニュートラルを達成することも明記された。つまり、国に関連した建築物や官公庁職員の活動において、そこで消費するエネルギーは、太陽光発電などで直接的に賄うか、残りはすべて再生可能エネルギー由来のものに証書などを活用して置き換えなければならない。また、こうした6つの部門における、今後10年間の集中的な取り組み、数多の法整備と予算の振り分けについては、「気候保護プログラム2030」を策定し、その効果を検証しつつ、随時、改善してゆくことも明記されている。ドイツの温室効果ガスの排出量の推移と30年、50年の目標値を入れたものが、以下の連邦環境庁によるグラフである。
このグラフでは2020~30年と2030~50年の目標値と取り組みの困難度合の違いが分からない。したがって、この気候保護法の規定がどのような道のりを描くのか分かりやすいように横軸を一定時間として以下のようにグラフを描き直した。図中の赤丸は気候保護法で目標とされている30年に55%削減(1990年比)、2050年に気候中立を示し、気候保護法が策定された段階での基準年は18年であったため、18年から30年にも気候保護法で取り決められている形の赤実線を入れている。また、30年から50年には赤色点線で直線を引いた。
このグラフを眺めると、一見、将来世代の自由を著しく制限するようには感じられず、多くの有権者は(日本においても)理性的な法制度だと考えられるのかもしれない。しかし、気候保護法の第1条にあるパリ協定での合意(2℃を十分に下回り、可能な限り1.5℃の上昇に抑える)に即して、有効な考え方の一つである、カーボン・バジェットでは、このような直線的な削減を行う場合、2℃を十分に下回る可能性が見えてこない。
カーボン・バジェット(CO2予算)とは、気温上昇をあるレベルまでに抑えようとする場合、過去の排出量とこれからの排出量を足し合わせた排出量の上限を決める(今後については予算化する)という考え方のことである。すでに過去の排出量は推計されており、もしドイツでパリ協定に準じるような気温上昇の目標を設定したならば、今後、どれくらいの温室効果ガスを排出してもよいのかが計算できる。このテーマについてドイツの連邦議会などでは議論が行われているが、ドイツ政府は態度を明らかにしておらず、社会情勢や経済界との調整の中で、上記に示した直線を引き、それを法制化し、世界に向けて発信している。
この点を今回提訴することになったFFFの若者らは最大の問題としており、もし現状の気候保護法の枠組みで削減が推移してゆくならば、以下のグラフのように31年以降は急激な温暖化対策が必要となり、そのことによって彼らの将来の行動の自由が著しく制限されるか、あるいはパリ協定の目標に達することができず、彼らの将来の生活基盤が著しく侵されることを懸念している。
図中の緑の実線のように、このまま30年まで1990年比で55%の削減目標であると、残りのカーボン・バジェットは著しく減少し、気候中立を果たすために最も困難が想定される80%を上回る削減のためにかけられる時間は存在せず、おおよそ35年までの5年間程度の短い期限で、一気に残り45%のCO2排出量を削減しなければならないことになる。これは、ほぼ非現実的であるため、現状の気候保護法の枠組みではパリ協定での目標を果たすことはできない。それゆえ、以下のグラフのような形(緑色の実線)を気候保護法に織り込むべきだと若者らは主張している。これは科学者らの知見からも賛同を得ている主張であり、政府の直線式で良しとすることは科学的に裏付けられていない。
30年に55%削減では将来世代の生活基盤を維持するために全く足りないという現実そのものは、私たち大人が常に問題の先送りをしてきたツケである。これらのことを考慮すると、なぜ憲法裁が31年以降の姿にこだわったのか、同時に、それがなぜ将来世代の自由の制限に関係すると問題視したのかがお分かりになるだろう。
■総選挙控えバタバタする独政府
このような流れの中で、4月29日の判決は国内の政治、経済の多様なステークホルダーに大きな衝撃をもたらした。それゆえ連立政権に参加する中道左派・社会民主党(SPD)所属のシュルツェ環境相が、同党のショルツ財務相兼副首相(次の総選挙の首相候補者)とともに、30年までに65%の削減(10%削減の上積み)、40年までに88%の削減、そして45年までに気候中立を目指す方向性で、5月10日以降の閣議会議に議題を提案すると発表することになっている。
また、メルケル首相が所属する中道右派の与党・キリスト教民主同盟(CDU)と姉妹政党であるキリスト教社会同盟(CSU)の保守連合も、炭素税のこれまで以上の迅速な値上げに言及したり、具体的な数値目標までは踏み込んではいないものの、憲法裁の判断を重く受け止め、気候保護法の迅速な厳格化に向けて議論を進めると明言している。さらに一部の緑の党の政治家からは、30年までに70%の削減は可能であるという声も聞かれるようになった。
9月26日の連邦議会総選挙に向けて、国会が閉じる夏休み前までの駆け込みの中で、今回は新型コロナウイルスと並んで大きなテーマとなった気候保護について、多様な政治の駆け引きやショーが開幕された形だ。公共放送ZDFが5月7日に報じた「次の日曜日が連邦議会選挙だったら、どの党に投じますか?」のアンケート調査では、緑の党が第1党で26%、コロナ禍と首相候補者選びのゴタゴタで支持を落としている保守勢力のCDU・CSUが25%、次いでSPDが14%と続いている。それに続いて11%を得た右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は、「気候温暖化対策はドイツの製造業に打撃を与え、失業者がたくさん出るから反対だ」と今回の判決に対して声明を出している。このテーマを今後、どのように取り扱うのかによって、この支持率上位4党の力関係は総選挙当日までにまだまだ変化する可能がある。
<筆者紹介>
村上敦(むらかみ・あつし)
日本で土木工学部、ゼネコン勤務を経て、ドイツ・フライブルクへ留学。フライブルク地方役場(ブライスガウ・ホッホシュバルツバルト郡)建設局で勤務後、2002年から独立し、国内の環境政策、都市政策、エネルギー政策などの情報を日本向けに発信する。主な著作に『ドイツのコンパクトシティはなぜ成功するのか? 近距離移動が地方都市を活性化する』(学芸出版社、単著)、『海外キャリアの作り方 ドイツ・エネルギーから社会を変える仕事とは?』(図書出版いしずえ、共著)などがある。
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