【意外な大国パキスタン(下)】
“禁酒の国”でも生産
名門ビール工場訪問記
パキスタン
マリービールのバンダラ社長。日本へは観光で訪れたことがあるという=3月、イスラマバード近郊
パキスタンというと、テロ事件の報道や厳格なイスラム教の国というイメージが日本では強い。しかし、外資100%の流通業が認可されるなど外資誘致政策はオープンで、何より、人々はフレンドリーだ。そんなパキスタンで、日本人にとって最も意外なのはビール工場が存在することではないだろうか。(文・写真=NNA東京編集部 遠藤堂太)
モーターショーの取材が目的だったパキスタンだが、ついでにどうしても訪問したかったのはマリー・ブルワリー(マリービール)だった。首都イスラマバード中心部から約40分、車で小高い丘を登ると、ぷーんと麦汁の甘い香りに包まれ、ビール工場に近づいたことが分かった。
「アサヒよりもおいしいだろ? うちのビール」。ゾロアスター教(拝火教)を信仰し、国会議員でもあるイスファンヤル・バンダラ社長は、笑顔が絶えない。マリービールは、カラチの証券取引所にも上場しており、国民にも広く認知されているブランドだ。
創業は英国領インド時代の1860年、日本は幕末の頃だ。1900年前後には、米国や欧州各国機関からゴールドメダルを受賞するなど世界にも知られた名門の醸造所だった。パキスタン独立の47年、バンダラ社長の祖父が今日のマリービールの経営権を取得した。
パキスタンでは現在、酒類の輸出入が禁止されている他、イスラム教徒の飲酒は認められていない。しかし、国内の非イスラム教徒(ゾロアスターやヒンズー、キリスト教徒など国民の約3%とされる)への配慮もあり、酒造が許可されている。非イスラム教徒は酒類販売所で購入できるが、レストランなど公の場での飲酒はできない。
77年の禁酒令施行までパキスタンでは自由に飲め、輸出も行われていたとバンダラ社長は話す。「現在も愛飲者の99%はイスラム教徒ではないか」という質問に対しては否定しなかった。
サビ・ウル・ラフマン社長補佐をはじめ、従業員2,000人のほぼ全員がイスラム教徒だ。20年以上前にパキスタン軍を退役した元軍人とは思えない温厚な話し方が印象に残るラフマン氏は68歳。アルコールは時々「たしなむ」というが、軍でも70年代は飲めた、と懐かしそうに話す。
マリービールの生産量は非開示だが、報道によると、年1,000万リットル。日本の50億リットル強に比べれば、極めて少なく、パキスタン国民がアルコールに親しんでいるわけではない。しかし、こっそりと「たしなむ」ことはできる。意外に優しく寛容なパキスタンの一面が、垣間見られる。
チェコで生産も
バンダラ社長の机の上には、チェコのザテック社にライセンス供与して生産しているというマリーブランドの瓶ビールがあった。
パキスタンからの輸出が禁じられているため、マリービールを外国で販売するには、ライセンス供与による現地生産が唯一の方法だ。これまでに英国や米国、インドの企業などと交渉したことがあるという。「マリービールの名を世界にもう一度広めたい。在外パキスタン人に故国のビールを飲んでほしい」という思いがある。
しかし、外国での販路拡大は厳しい状況だ。「ザテック社でのマリービール生産は年間でコンテナ2、3個分。ロイヤルティー収入は年1,000米ドル(約11万円)程度にすぎない」とバンダラ社長は述べ「日本企業がチェコから輸入、または日本でライセンス生産するのであれば大歓迎だ」との期待を示す。
酒税が存在しない?
バンダラ社長によると、パキスタンに酒税は存在しないものの、政府はアルコール度数に関係なく酒類の出荷額に対して一律80%の「ビジネス税」を課していると説明する。しかし突然、税率が変わったり地方政府の命令で酒類販売所が閉鎖されたりすることもある。このため、バンダラ社長は安定成長が見込まれるソフト飲料事業の拡大に意欲を示す。ビールなど酒類の出荷の伸びは年率10%なのに対し、ソフト飲料は30%も伸びているからだ。訪問した際も容器世界大手テトラパックと商談を行っていた。
醸造学は国外で学ぶ
レンガ造りの工場内も見学した。写真撮影は自由、というオープンさにびっくりだ。
麦汁を作る前段階のもろみの製造工程なども間近で見られる。日本では雑菌が入るリスクを考え、80年代には原料投入などの製造工程管理は自動化されているだけに、日本のビール工場見学よりも手作り感満載で楽しい。仕込み釜から少し歩くとウイスキーの貯蔵庫があった。ノンアルコールビールも生産しているなど多様な生産ラインアップを持つ工場だが、ソフト飲料と酒類がミックスされないよう生産の動線は留意しているという。
案内してくれた品質管理マネジャーは地元の大学で化学を学び、醸造については入社後に勉強、ドイツなどで技術を取得したという。その彼が充てん直後のビール缶をラインからひょいと一本手に取り、コップに注いで渡してくれた。低温殺菌直前の出来たてビール。格別の味わいだった。
イスラム教を厳格に守る人々から「酒造会社に勤務している」ということで嫌がらせを受けないのか。見学中にそんな疑問をぶつけてみると、「ない。品質管理の仕事を誇りに思う」と静かに答えた。バンダラ社長も「30年、40年と長く勤める社員が多く、皆、満足しているはずだ」と話す。
一般見学は難しいが、意外にオープンだったパキスタンのビール工場。もし日本でもマリービールが飲めるようになれば、パキスタンのイメージは大きく変わることだろう。
どこで買える? パキスタンのビール
パキスタン国産のマリービールは同国内でしか飲むことができない。ではどこで買えるのか? イスラム教徒ではない外国人であれば、一部の高級ホテルでルームサービスで頼むのが一般的だ。ラホールの「アバリ・ホテル・ラホール」では、パキスタンで唯一、酒類を出すバーがある。1本(500ミリリットル缶)約600円、ルームサービスで頼んでも同額。全国で数十カ所あるとされる酒類販売所では、非イスラム教徒は購入できるが、ケース単位だ。レストランなど公の場での飲酒はできない。
ノンアルコールビールは約40円程度で、市内のスーパーで誰でも購入可能だ。
バンダラ社長お勧めは白ビール
在留邦人に聞いて「おいしい」と評判なのは白ビールだ(写真右)。バンダラ社長も「濁りとホップのアロマが特長だ」と勧めてくれた。マリービールでは7種のビールを製造しているが、小麦を原料に使う白ビールは缶のみ。マリービールの売上比率は缶が9割、瓶は1割だという。