NNAカンパサール

アジア経済を視る January, 2023, No.96

【プロの眼】戦場のプロ 傭兵・高部正樹

第9回 目指せ長距離タイプ
    傭兵の体と健康管理

戦場の兵士にはいろいろな問題が山積みですが、その中でも大きなものが健康です。物資調達や行動の自由があまり利かず、どうしても不摂生になりがちな日常で、いかに体力やコンディションを維持するのか。お正月休み明けの読者の皆さんにも知ってほしい。今回は、そんな自己管理の話です。

ボスニアでのクロアチア軍の兵舎。居室で戦友たちと(筆者提供)

ボスニアでのクロアチア軍の兵舎。居室で戦友たちと(筆者提供)

「えっ、もう引退するんですか? 同年代のうちの隊員なんて、まだ現役ばりばりですよ」

私が現役を引退して間もない頃、フランス外人部隊の隊員に会った際に開口一番、そう言われました。彼によると、40代の隊員の多くは一線の部隊でまだまだ活躍していると。

それは当たり前です。ずっと基地にいて栄養ある食事をしっかり取り、思うままにジムで鍛えたり走ったり訓練したり‥‥そんな毎日を送ることができる外人部隊なら、50代になっても「キレキレ」なのは当然。最前線とは異なります。

われわれ最前線の兵士は、不規則で不摂生な毎日が続きます。粗食どころか何日も食べられなかったり、配置に付けば歩き回る事すらできません。そうなると体が徐々になまって筋力も衰え、抵抗力の落ちたところに風土病が襲いかかり、ぼろぼろになっていきます。そうかといって休むことは許されず、体を無理にでも動かして戦わねばなりません。それが日常、戦場とはそういうところです。

無理を強いれば、肉体を壊すのも早いでしょう。ヘルスケアに気を配りながら、毎日好きなように鍛えられる人たちとは根本的に違うのです。しかし、対策を練らない訳ではありません。後方に戻ったり休暇で国に帰ったりした際は、トレーニングして回復を図ります。

ボスニア時代、朝のトレーニングに使用していた「アサルトコース」(筆者提供)

ボスニア時代、朝のトレーニングに使用していた「アサルトコース」(筆者提供)

私が最もしっかりトレーニングしていたのは、ボスニア・ヘルツェゴビナ時代でしょうか。後方のベースキャンプに戻ると、部隊として訓練が行われます。毎朝6時に起きると、準備運動もそこそこに8~18キロメートルのランニングや、小銃を持って走るライフルランニング。その後、アサルトコース(障害物を配置したコース)を何本か走り、筋力トレーニング。土曜の朝にはコンバットフットボールと呼ばれる、サッカーボールを使ったラグビーも開催されたものです。

このように、駆け足を中心に毎朝2時間ほど体力維持の訓練をすることが日課でした。航空自衛隊でも嫌というほど走らされましたが、軍隊では足は命綱。歩けなくなったら終わりです。自分だけが終わるならまだ良いですが、仲間にも多大な負担をかけ、リスク負わせる事になります。われわれは、それを何より嫌いました。とにかく走り込み、持久力を付ける事を第一に訓練します。

トラックよりHV車
燃費と持久力が大切

帰国時は、1日も早く戦場に戻る旅費を稼ぐためにほとんどの時間を費やす一方、空き時間にはトレーニングも欠かしませんでした。バランスよく鍛えるのが一番ですが、やはり長距離走やインターバル走による持久力アップが中心。特にアフガニスタンやミャンマーでは砂漠、ジャングル、険しい山などを何日もかけて自力で踏破する必要があるので持久力が絶対に必要です。

筋トレで上半身を鍛えるときは、ボディービルダーのような身体にしないように気を付けました。重い荷物を担ぎ、装備を付けて動けるタフさは必要ですが、力比べをするわけではありません。それに筋トレによって速筋(瞬発力の発揮に関わる筋肉)を必要以上に付ける事は、兵士にとってはデメリットが多いです。瞬間的なパワーは出せても、柔軟性が失われて持久力もなくなります。

ミャンマーのカレン軍キャンプ。モエイ川のほとりに作ったつり輪。「みんな水浴びに来るついでに使っていましたと高部氏(筆者提供)

ミャンマーのカレン軍キャンプ。モエイ川のほとりに作ったつり輪。「みんな水浴びに来るついでに使っていました」と高部氏(筆者提供)

筋肉量が増えると消費カロリーも増えます。知り合いの格闘家はボディービルダーのような体つきですが「1食抜くと体が思うように動かない」と言います。これが兵士なら致命的な欠陥。求められるのは、パワフルだけど燃費の悪いトラックではなく、少しの燃料で長時間走るハイブリッド車(HV)なのです。

前線のキャンプでは、まとまったトレーニングの時間はまず取れません。そこで、簡単なトレーニング機器をよく作ったものです。例えば、木々の間に棒を固定して懸垂したり、つり輪を作ったり、棒に石をくくり付けてダンベルの代わりになど。その前を通るたびに5回10回と懸垂し、つり輪にぶら下がりました。

ミャンマー・カレン軍の前線キャンプにあったバンカー(陣地に設けた構造物)の中では、迫撃砲の弾が降ってくる中でも少しの時間を見つけては、みんなで腕立て腹筋していたこともあります。こうした細切れの時間を活用し、少しでも体がなまることを防いだのです。

小食のメリット多い
胃袋を事前に縮める

健康管理には、食べる物も大切です。ただ、そうは言っても先進国の軍隊ならMRE(meal ready for eat、戦闘糧食)がありますが、小規模の軍隊には期待できません。そこにあるものを食べるしかないので、バランスだの量だのぜいたくは言えないのです。そのため後方や日本に戻ったときは、戦場に復帰する少し前からいろいろと準備をします。

まずは、食べる量を減らすことです。戦場では必然的に食事の量が減ります。ずっと腹いっぱい食べていると復帰したときの空腹感がより大きくなり、再び慣れるまで集中力がそがれます。事前に胃を小さくし、少量でも一定の満足感を得られるようにしておきます。

小食のメリットは他にもあります。運搬できる量や重さの制限、そして排便の跡はこちらの情報を敵に与える一因になります。もし腹部を負傷した場合、便などの内容物が腹腔(ふくこう)内にぶちまけられるという衛生上の問題もあります。食べる量は極力少なくするよう努めました。

一方で副食は用意しました。人によりますが、みそ、カレー粉を私はよく持っていきました。ネズミやネコといった、ちょっと特殊なジビエ(獣肉)は結構な臭いが鼻をつきます。わなで捕獲すると血抜き前に死んでしまうこともあり、余計に臭く感じます。その臭いをみそやカレーで消すのです。

先に書いたように体力は兵士の生命線。その維持に食料は欠かせません。「臭いから食べられません」は通用しないのです。兵士にとっては、どんな物でも食べるのが任務なのです。

ミャンマーでの行軍中にジャングルで採取した可食植物(筆者提供)

ミャンマーでの行軍中にジャングルで採取した可食植物(筆者提供)

甘くて少量で効果的
カロリーメイト人気

他によく持って行ったのがカロリーメイトです。軽く小さい割に、必要な栄養素を効果的に摂取できるからで「少量で効果的」という携行食料の必須条件にぴったりでした。

しかし、問題が1つありました。同商品は甘いため現地兵、特に少年兵にすこぶる人気でみんなにたかられ、すぐなくなってしまうのです。それも仕方のない面があります。戦場で絶望的に手に入らない物の1つが甘い物。彼らには、おやつ感覚なのです。私も恵まれた日本で過ごしてきた後ろめたさから彼らに強く言えず、毎回すぐになくなりました。

あとは、ビタミン補給も大きな問題です。戦場で生鮮食品は望むべくもありません。ミャンマーでは行軍中などに可食植物を見つけて採取できましたが、それらも微々たるものです。サプリメント(栄養剤)は手放せませんでした。

ミャンマーのカレン軍にいた日本人たちは各種サプリの他、疲労回復用としてグルコース(ブドウ糖)の粉末も用意していました。辛いジャングルの行軍でへとへとになった時にこれをなめると、すぐに力となって体が軽くなるように感じたものです。ただ口の中にへばりつくので、結構な量の水を用意しておく必要がありましたが。

ボスニア時代は、自分で用意せずとも所属のクロアチア軍からカプセルのサプリが支給されました。後方の基地にいても野菜や果物類がほとんど出なかったため、非常にありがたい存在でした。アフガンは、何種類かの果物を混ぜてようかんのように固めたドライフルーツがまれに支給された他、基地でトマトを作っていました。この2つが主なビタミン源だったと思います。

クロアチア軍から支給されたサプリメント。「余りを持ち帰ったのですが、なぜかまだあります」と高部氏(筆者提供)

クロアチア軍から支給されたサプリメント。「余りを持ち帰ったのですが、なぜかまだあります」と高部氏(筆者提供)

兵士のベスト体形
脂肪はあえて残す

戦場は衛生状況が劣悪なため、ちょっとした傷でも大事になりかねません。

私はジャングルで小さなとげが指に刺さったのを放っておいたら、翌日には指が5倍くらいに腫れ上がりました。それとともに高熱でダウン。最初は原因が分からず、最前線で医者もおらず苦しんだのですが、とにかく腫れた指が痛いのでナイフで切開してうみを出し切ると途端に熱も下がりました。

ほんの数ミリにも満たないとげが、たった一晩でそんな事態を引き起こすとは夢にも思いませんでした。以後は消毒薬などを常に持ち歩き、わずかなけがでも油断しないのは言うまでもありません。

しかし、警戒のしすぎが命取りになることもあります。

カレン軍で仲間だった日本人兵士が、どこから聞きつけたのか「ビブラマイシンという抗生物質がマラリアの予防薬になる」と言い出しました。そして、彼は同薬を数日おきに服用。結果、次第に身体が弱り、別の病気で亡くなってしまいました。抗生物質の常用が危険だと知っていたとは思いますが、マラリアはわれわれを最も悩ませる病気でした。わらにもすがるような思いだったのかもしれません。

われわれのようなフリーランスの兵士には、定期的な身体検査や健康診断がある訳ではなく、ヘルスケアは自身で行うしかありません。戦場の兵士は、ほぼ間違いなく劣悪な環境に置かれますが、その上でそこそこ高いレベルのパフォーマンスを保つことが要求されます。アスリートのように用意周到に準備して、試合の日がピークとなれば良いという体づくりとは根本的に違います。ピークをある程度は低く抑えてもいいから、長期間それを維持できる忍耐力と持久力が必要なのです。そのための体重調整や体づくりを行います。

私の場合は身長177センチメートルで、現役当時のベスト体重が70~73キログラムでした。ちょっと重いように見えるかもしれませんが、補給もままならない過酷な環境です。重い荷物と装備を身に着けるための筋力、それらを背負って長い距離を歩き、しかも戦えるだけの持久力を維持するには、これ位がベストだったと感じています。ごりごりのマッチョ(筋肉質な体)にするのではなく適度な筋肉量に加えて若干の脂肪を残しておくこと。それが、過酷な環境下でも体力を維持する兵士としては良かったのだろうと思います。

ミャンマー、カレン軍の最前線でのある日の朝食。バナナとお茶。バナナは1人1本(筆者提供)

ミャンマー、カレン軍の最前線でのある日の朝食。バナナとお茶。バナナは1人1本(筆者提供)


高部正樹(たかべ・まさき)

1964年、愛知県生まれ。高校卒業後、航空自衛隊航空学生教育隊に入隊。航空機の操縦者として訓練を受けるも訓練中のけがで除隊。傭兵になることを決意し、アフガニスタン、ミャンマー、ボスニアなどで従軍する。2007年、引退し帰国。現在、軍事評論家として執筆、講演、コメンテーターなどの活動を行う。著書に『傭兵の誇り』(小学館)、『戦友 名もなき勇者たち』(並木書房)など。自身をモデルにしたコミックエッセー『日本人傭兵の危険でおかしい戦場暮らし』が雑誌『本当にあった愉快な話』(竹書房)で連載中。


バックナンバー

第8回 死んだらどうなる? 知られざる死後の話
第7回 いつ、どこに、誰が? 「敵」について考える
第6回 さまざまな人生集う 戦場に生きた人たち
第5回 滞在先で紛争発生 命と安全どう守る
第4回 食べるのも仕事の内 試練に満ちた食生活
第3回 戦場超える過酷さ? 収支赤字のお金事情
第2回 銃弾飛び交うアフガン デビュー戦と最初の壁
第1回 「100万人に1人」の男 アジアの戦場を目指す

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