【アジア本NOW 作家インタビュー】
青春時代の語学奮闘記
どこの言葉も面白い!
ノンフィクション作家・高野秀行氏
「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」をポリシーにするノンフィクション作家・高野秀行氏。自身のユニークな語学体験をつづった新刊『語学の天才まで1億光年』(集英社インターナショナル)が好評だ。これまで学んだ言語は実に25以上。「語学は開かずの扉が開く魔法の剣」と語る高野氏に、学習ヒントなどを教えてもらった。
たかの・ひでゆき ノンフィクション作家。1966年、東京都八王子市生まれ。早稲田大学の探検部在籍時に執筆した『幻の怪獣・ムベンベを追え』(PHP研究所)でデビュー。アジア、アフリカなどの辺境探検をテーマとしたノンフィクションの他、日本を舞台にしたエッセーや小説も多数発表。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で酒飲み書店員大賞、『謎の独立国家ソマリランド』(本の雑誌社)で講談社ノンフィクション賞などを受賞=10月19日、新宿区(NNA撮影)
怪獣や雪男といった未確認動物の捜索から謎多き秘境への潜入まで、少年のような探求心をエネルギーに世界を巡り、その体験を本にしてきた高野氏。本作では10~20代に経験した探検や海外渡航エピソードとともに、当時実践した学習方法を紹介。インターネットがまだ無い時代、方々を駆けずり回ってネーティブの講師を探したり教科書を自作したり、語学に情熱を注ぐ様をユーモラスにつづる。高野氏の青春を追体験しながら、語学のディープな世界をのぞき込むような1冊となっている。
――新作のテーマを「語学体験」にした経緯は?
高野 以前から語学をテーマに書きたい気持ちはあったのですが、どう伝えるべきかが長年の課題でした。外国語の話というのは、その言語を知っている人は分かるけれど、そうでないと全く分からないですよね。ましてや英語やフランス語などのメジャーな言語でもなく、リンガラ語(アフリカ・コンゴ川流域の共通語)やシャン語(タイやミャンマー他に居住する少数民族、シャン人の言葉)といった日本で知られていない言葉については、どう書けば理解してもらえるのか悩んでいました。
そんな折、新型コロナが流行して海外に行けなくなり、まとまった時間ができたので執筆を決めました。
早稲田大学探検部の活動でコンゴへ。怪獣「モケーレ・ムベンベ」を探すためフランス語とリンガラ語を習得(高野氏提供)
――謎の怪獣探しに行ったアフリカのコンゴ人民共和国(現コンゴ共和国。以下コンゴ)や、東南アジアの秘境ゴールデン・トライアングル(黄金の三角地帯)への潜入といった探検話とともに、「物真似学習法」といったオリジナルの言語習得テクニックを解説。民族や文化の考察などもあり、さまざまな角度で楽しめました。
高野 読み物として面白くしたいのと同時に、語学についても伝えたい。その2つはなかなか相いれないので、ちょっとした曲芸のようでした(笑)。
読んでもらうためには、面白いストーリーをベースにしつつ、語学に対する僕自身の気持ちの「揺れ」を書けば、語学が分からない人でも興味を持ってくれるだろうと思い、そのような表現方法にしました。語学の面では間違いがないことが重要でしたので、言語学者や各言語のエキスパートに協力いただきました。
――本書への反響で印象的だったものは?
高野 「自分が語学をやっていた当時を思い出した」という読者がたくさんいて、本当に多くの人に語学体験があるんだなと実感しました。あとは、「海外旅行の記憶がよみがえった」「もう少し勉強しておけばよかった」「語学の楽しさを改めて感じた」といった感想も多いですね。
僕はこれまで一般的な日本人には縁がない場所に行っていたので共感してもらえることが少なかったのですが、今回はその点が違いますね。素直にうれしいです。
語学の力で難局打開
全ての言葉学びたい
語学は探検の道具と考えて、渡航前からの入念な学習を準備の一環にしてきた高野氏。いつの間にか語学そのものが探検の対象のようになり、「語学オタク」を自称するまでになったと笑う。その原点にあるものや、習得のメリットなどを聞いた。
――言語習得に並々ならぬ情熱を注いでいますが、きっかけとなった体験は?
高野 探検部の活動として行ったコンゴで、フランス語とリンガラ語でいろんな難局を打開できたのが成功体験になり、それ以降も語学で解決しようというスタンスになりました。それが良かったのかは分からないですが(笑)。
もう少し数を絞って突き詰めれば良かったとも思いますが、必要に迫られたものをついやってしまうし、どんどん興味が移っていくのもあります。やっぱりどの言葉も面白いんですよね。全部やりたいというのが正直なところです。
ゴールデン・トライアングルでケシ栽培をするという目的のため、麻薬王のアジトでビルマ語を学習。当時、自作で使っていた「突撃ビルマ語会話」と題した学習ノート(高野氏提供)
――本書にはアジアの言語としてタイ語、ビルマ語、シャン語、中国語、ワ語(ミャンマーのワ族の言葉)が登場しますが、それ以外で学んだアジア言語は?
高野 ブータンのゾンカ語、インドのヒンディー語にオリヤー語、パキスタンのウルドゥー語とブルシャスキー語、それにトルコ語。あとは、ミャンマーの少数民族のカチン語に、インドネシア語、カンボジア語、韓国語も。われながら、本当にいろんなものに手を出していますね(笑)。
印象に残っているのはゾンカ語。とても簡単で、先生に会う前に入門書を読み、最初にゾンカ語で自己紹介をしたら先生が驚いていました。基礎単語集に「雪男(ミゲ)」が載っていたことにも感動しました。
あとはカチン語。ジャングルの中でゲリラと一緒に移動しながら覚えたので、カチン語を思い出すと自動的にジャングルが頭の中によみがえります。
――アジアで働く日本人の中には、現地語を学ぶ余裕がない、あえて学ばないという人も少なくないのですが、どう思いますか?
ゴールデン・トライアングル潜入のために中国語も学習。留学先で出会った恩師と共に、雪男に似た「野人」を探しに中国・湖北省の山奥へ(高野氏提供)
高野 言語には「うまく話せる人の方が優位に立てる」という理不尽な法則があって、僕はそれを「言語内序列」と呼んでいます。つまり、中途半端に現地語を覚えると序列の下層にランク付けされてしまうので、それを避けたい気持ちは分かります。
でも、言語は社会を映す鏡。学ぶと現地の状況、歴史、文化などたくさんのことが分かるんです。つまり言葉を覚えないのは、ある意味マーケティングの放棄ですごくもったいない。
駐在員となると、会うのは現地の偉い人や年配の男性が中心かと思いますが、性別を問わずさまざまな年代の人と話す機会はすごく大事。現地の言葉しか話せないけれど事情通な人っているんですよ。仕事柄あちこちに行く運転手は特にそうですね。
――本書ではAI時代の語学についても考察していますが、直に話すといった「親しくなるための言語」は生き続けると述べています。
高野 そうですね。主要な業務は日本語や英語でもいいと思いますが、それとは別に現地の言葉を学ぶと、現地スタッフや取引先と仲良くなれるというメリットがありますし、ビジネスも絶対有利になるはずです。
イラクでチグリス川下り
中東クルド語に興味あり
辺境旅を続けて30数年。「やっていることは探検部時代から進化なし。そのまんまのことを今もやり続けています(笑)」と謙遜するが、ますます旺盛な好奇心と行動力はもはや超人級。エネルギーを保つ秘訣(ひけつ)や、言語を学ぶ人へのエールを伝えてもらった。
――今後、取材を予定している国や地域は?
高野 イラクに関する本を来年出版する予定で、執筆を進めています。そのあとは、クルディスタン(中東北部のクルド人の居住地域)にあるチグリス・ユーフラテス川の源流部で川下りをするという本を書くつもりです。
――面白いものの見つけ方がさすが天才ですね。
高野 まぁ、天才となんとかは紙一重って言いますよね(笑)。探検部の先輩と川下りやろうということになり、メコン川などまっとうな案も出たんですが、調べていくうちにまだ誰も川下りをしていない場所にこだわりだしてしまい‥‥。結果的にすごく個性的になってしまうんです。
間抜けな話なんですけど、チグリス・ユーフラテス川の上流で川下りしたいと思い、まずトルコに行ったんです。そうしたら、その上流域がクルド人居住区だということがやっと分かったんですね。後からクルディスタンだったと気付いた。
新型コロナ流行前に現地へ行ったのですが、住民に「なぜこんなところで川下り?」とすごく不審がられました。「車ならすぐだよ。乗せていってあげようか」と誘われて、断るのに苦労したり。
――本書の表紙にも、カヌーをこぐイラストが添えられています。
高野 語学の天才になるのは本当に遠くて、1億光年かかるぞという感じです。ゆっくり、ゆっくりしか進まないので。
――次に学んでみたい言語は?
高野 クルド人に興味があるのでクルド語ですね。インド・ヨーロッパ語族のペルシャ語に近い言語で、どういう言語かやる前からだいたい想像がつくので言語的にはあまり面白みは感じていませんが(笑)。
――好奇心と行動力を維持する秘訣は?
高野 今まで自分が書いてきた本が全てライバルだと思い、それ以上のものを書こうという気持ちかと。というのも僕は性格的に過去をすぐ忘れるタイプで、自分が過去にやったことは他人のことのような気がして、負けたくないという思いが湧くんです。同じものを書きたくないので、テーマも毎回変えています。
――最後に、読者へメッセージを
高野 ビジネスパーソンにとって、言語はできなければならないという「呪い」ですよね。でも、たくさんやる必要はなく、本当に必要な分、できる分をやればいいと思います。少しでもやると人間関係が全く違ってくるはずです。特にアジアなんかそうだと思いますよ。
みんな、英語でビジネスをしていると思いますけれども、 アジア諸国はどこも多民族で、何の言葉をしゃべるか、何が母語かで思考法や文化、社会的立ち位置などが全然違う。スタッフが何人かいても、母語がばらばらというケースも少なくない。
知らないうちに会社がある民族で占められているとか、民族ごとに派閥になっているなんてこともあるでしょう。同じ商品でも、この民族には売れるけど、あの民族には売れないといったことが言葉を通じて分かる。それだけでもすごく面白いし、役に立つと思います。(聞き手=東京編集部 古林由香)
さらに読みたい高野作品LIST
幻獣ムベンベを追え
高野秀行(著)
集英社(集英社文庫)
572円 電子版あり
1989年刊のデビュー作『幻の怪獣・ムベンベを追え』(PHP研究所)の文庫版。アフリカ・コンゴで怪獣捜索に挑む早稲田大学探検部の奮闘記。
アヘン王国潜入記
- 2007年3月20日
高野秀行(著)
集英社(集英社文庫)
924円 電子版あり
ケシ栽培を試みるため、ミャンマー秘境のアヘン生産地「ゴールデン・トライアングル」へ。ワ語、中国語、方言を駆使し奥地へ潜入する。
怪魚ウモッカ格闘記
インドへの道- 2007年9月20日
高野秀行(著)
集英社(集英社文庫)
704円 電子版あり
「探し物中毒」の著者が、ネット検索で心をつかまれたのがインドに生息するという謎の怪魚。数々の難問を情熱で突破し、怪魚に迫っていく。
謎の独立国家ソマリランド
そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア- 2013年2月18日
高野秀行(著)
本の雑誌社
2,420円 電子版あり
アフリカ東部の崩壊国家、ソマリアに存在する謎の独立国とは。リアル『北斗の拳』の世界を探る衝撃作。講談社ノンフィクション賞を受賞。
謎のアジア納豆
そして帰ってきた〈日本納豆〉- 2016年4月27日
高野秀行(著)
新潮社
1,980円
アジアの辺境で遭遇した納豆卵かけご飯。納豆文化圏はどこまで広がっているのか。アジアと日本の納豆を食べまくり知られざる謎に迫る。