NNAカンパサール

アジア経済を視る September, 2022, No.92

【特集 いざ、リベンジ旅行へ①】

ボーイズラブの世界を実体験
「推し活」でタイ観光を復興

コロナ禍で観光産業に大きな打撃を受けたタイが、早期回復を目指し外国人観光客の受け入れを加速している。注目を集めるのが、タイで制作が盛んな男性同士の恋愛を描いたボーイズラブ(BL)ドラマのロケ地を巡るツアー。ターゲットは、日本人。エンターテインメントと観光をかけ合わせた新たな旅行需要の発掘として、タイ政府も支援に乗り出す。(編集部 古林由香、NNAタイ Jaruwit Su-Ngam、Sangkawin Apiwut)

タイ国政府観光庁の大阪事務所が協賛した、タイBLドラマロケ地ツアーの様子。6月開催のモニター版には日本人女性10人が参加。撮影で使われた結婚式場ほかドラマゆかりの地を巡った=6月11日、バンコク(タイ国政府観光庁提供)

タイの首都バンコクから車で走ること約1時間。パトゥムタニ県にある私立ランシット大学を、タイ人ガイドに連れられた日本人女性のグループが訪れた。年齢は20代から50代まで、その数12人。校舎や運動場など、校内のあちこちで立ち止まってはスマートフォンで熱心に記念撮影。若い男性を模した人形にポーズをとらせて写真撮影する人も。観光地ではないこの大学を訪れた理由。それは、ここが彼女たちの「聖地」だからだ。

「タイ人気BLドラマ聖地巡礼ツアー」と題し、モニター用として7月中旬に開催された本ツアー。名作として知られる学園恋愛ドラマのロケ場所や、主演俳優ゆかりの地を2日間かけて巡った。

参加者は共通のハッシュタグをつけ、「初めて来たのに懐かしい」といった体験談をSNSに投稿。参加できなかったファンも「自分もいつか行きたい」などと書き込みタイムラインを賑わせた。

「大学以外にも、地元の食堂や、主人公カップルが住んでいた設定のアパートの室内などローカルな場所を見ることができ、ドラマの世界観に入り込む感覚を味わえた」と語るのは、ツアーに参加した30代の会社員。ファン歴は2年5カ月。主演のタイ人俳優の魅力を広めるファン有志団体に入り、「推し活」と呼ばれる熱心な応援活動をしているという。

「タイでの新型コロナの感染状況は落ち着いているとはいえ、コロナ禍での海外渡航であることには変わらず、予定通り帰国できなかった場合に備えて、仕事の調整をしてからタイに来たという方も。日本帰国用のPCR検査で陰性が判明した時は、皆ほっとした様子でした」(前出の参加者)

ドラマの主人公カップルを模した人形を入れて、ロケ地のランシット大学で記念撮影。人形は俳優の所属事務所から販売されている公式グッズで、多くのファンが所有しているという=7月16日、パトゥムタニ県(KristSingto JapanFC提供)

コロナ禍の海を渡らせるほど、日本人女性を夢中にさせているタイBLドラマ。ブレークの時期は、新型コロナウイルス流行による「ステイホーム」が始まった2020年春。とあるファンが「腐女子(※)へ タイBLドラマ見てください」と、ユーチューブなどで見られる作品の一覧をSNSに投稿したところ、瞬く間に拡散されたのがきっかけだ。
※BL作品やその世界観が好きな女性の総称

カップルとなる主演俳優は、程よくエキゾチックなスタイル抜群のイケメンたち。南国の風景を背景に繰り広げる、胸キュンシーン満載の純愛ストーリーが「コロナ禍で疲弊した心をいやしてくれる」と、女性を中心にファンが続出。はまると抜け出せないという意味の「タイ沼」という造語も生まれた。

タイでは「Yシリーズ」と呼ばれるBLドラマ。Yは、男性の同性愛を題材にした小説や漫画などの二次創作物の総称である日本語の「やおい」が由来だ。14年にYシリーズの元祖と呼ばれる『Love Sick』が制作され、16年に番組制作兼タレントマネジメント会社のGMMTVが制作した『SOTUS/ソータス』が大ヒット。若い女性を中心に熱狂的なファンを獲得し、1つのジャンルとして確立した。

その4年後の日本。突如始まったブームを受け、日本の動画配信サービス各社もタイBLドラマのラインアップを拡大。早くからBL作品に力を入れていた楽天運営の「Rakuten TV」では、8月24日現在、約40本を配信している。

またテレビ朝日は20年11月、GMMTVとの業務提携を発表。日本でのブームの火付け役となった
『2gether(トゥギャザー)』を含む10本近いタイBLドラマを関東ローカルの地上波で放送してきた(1話のみ放送分を含む)。

他にも専門雑誌や、ドラマをコミカライズ化した日本オリジナル漫画など関連商品が続々と登場し、市場が拡大。今回のロケ地ツアーも、発表されるとSNSで大きな反響を呼んだ。 『SOTUS S The Series』『2gether』 『A Tale of Thousand Stars』『Bad Buddy Series』

テレビ朝日が8月下旬に開催した俳優来日イベントに合わせて、同社出資の動画配信サービス「TELASA(テラサ)」は「タイドラまつり2022」を開催。来日俳優の主演作を一部無料で配信。左上『SOTUS S The Series』、右上『2gether』、左下『A Tale of Thousand Stars』、右下『Bad Buddy Series』(テラサ提供)

8割がタイ渡航歴なし
文化や言語に強い関心

音楽・芸能大手GMMグラミー傘下にあるGMMTVが入るビル。ビル内には公式グッズの販売スペースもあり、日本ファンが「聖地」と呼ぶ場所の1つ=8月16日、バンコク(NNA撮影)

タイBLドラマロケ地ツアーの開催を旅行会社に提案し、協賛したのがタイ国政府観光庁(TAT)大阪事務所。きっかけになったのが、タイの入国規制緩和だ。

新型コロナ流行前の19年、外国人観光客数が約3,980万人と過去最高を記録していたタイ。世界旅行ツーリズム協議会(WTTC) によれば同年の観光産業の国内総生産(GDP)シェアは 20.1%。高い比率を占めていただけにコロナ禍の打撃は大きく、政府は観光産業の早期復興を目指し、昨年11月から入国規制を段階的に緩和。5月には入国後の隔離をほぼ撤廃し、外国人観光客の受け入れを加速している。

「昨年、オンラインで実施されたドラマロケ地ツアーに、700人以上の方が参加し大好評だった。入国規制緩和を機に、実際のタイを見てもらいたいと思いリアルツアーを実施した」と話すのは、TAT大阪事務所のマーケティングオフィサー、村井茉耶さん。自身もタイBLドラマファンで、20年10月からTATの「タイBLプロジェクト」を担当している。

ツアーを手かけたのは、タイで日本人向けツアーを販売する旅行会社スペースバス。2度のモニターツアーを経て8月から1日コースとして商品化し、3,500~4,000バーツ(1万3,320~1万5,230円)で販売する。

「オンラインのロケ地ツアー参加者に行ったアンケートでは、8割がタイ渡航歴のない方。依然コロナ禍ということもあり、反響に比べて予約者数はまだ少ないが今後期待できるマーケット」とは同社の渡辺俊男代表。

「ドラマを徹底的に見てリサーチする必要があり、対象作品を一気に増やすことは難しく、現在は2作品。オンラインツアーと並行しながら対象作品を増やしていきたい」と話す。

タイBLドラマは、東南アジアを中心に日本以外の海外でも熱狂的ファンがいるが、「現時点では他国の観光客からの問い合わせはなく、日本人以外を対象にした同様のツアーも聞かない。日本人向けでも、積極的に展開しているのは当社ぐらいだと思う」(渡辺氏)。

「オタク」の市場調査を行っている矢野経済研究所の松島勝人氏によると、日本のBLオタク人口は自称、他称合わせて推定67万人(21年9月時点。以下同)。市場規模は、1人当たりの推定の年平均消費額(9,988円)と推定人口から算出すると、約67億円のマーケットと解説する。性別は93.9%が女性で、「好きなBLキャラクター、または作品などの『推し』を持ち、作品を好みながらも、妄想も好むことが特徴的」と分析する。

TATの村井さんも、「タイBLドラマファンは、作品を通じて文化や語学に強い関心を寄せているのが特徴。俳優が起用された広告などを見るため、ツアー日程終了後に街に飛び出すアクティブさも印象的だった」と話す。「これまでの渡航者とは違う切り口でタイを楽しんでいて、何度来ても飽きを感じないリピーター層になると期待している」

「タイ人気BLドラマ聖地巡礼ツアー」日程例 午前中 8時半、バンコク市内集合。日本語ガイド添乗の専用バンで移動 1カ所目:ナコンパトム県のマヒドン大学サラヤ校。食堂や愛を誓った桟橋などを見学 2カ所目:同県の寺、ワット・ケーナイ。主人公が出家したシーンのロケ場所を見学。参拝も体験 午後 3カ所目:同県のモール「セントラルプラザ・ウエストゲート」。複数の店舗がロケで使用されたモールで各自昼食 4カ所目:バンコク市「SIX BREW COFFEE」。主人公が待ち伏せシーンが撮影されたカフェでコーヒーブレーク 4時ごろ、バンコク市内で解散

タイ首相もBLパワー期待
23年は5千人のファン想定

「LOVE OUT LOUD FAN FEST 2022」の会場周辺の様子。
「LOVE OUT LOUD FAN FEST 2022」の会場周辺の様子。

BLドラマ出演俳優が一同に集結したイベント「LOVE OUT LOUD FAN FEST 2022」の会場周辺の様子。タイでは、ファンによる俳優サポート活動が盛んで、クリス・ピーラワットとシントー・プラチャヤーを応援するファン団体は、ドリンクや旗を来場者に配布。日本で結成された有志ファンクラブも合同参加した=8月20日、ノンタブリ県(NNA撮影)

タイBLドラマのソフトパワーを観光復興に役立てようと、タイ政府も動き出した。7月5日、タイ首相官邸の広報官は、プラユット首相がタイBLドラマの観光産業活性化への貢献を評価しているというコメントを発表。成長が期待できる分野とし、ソフト制作を支援する方針を明らかにした。

ブームをけん引するGMMTVも、22年に制作予定の全20本のドラマのうち8本をBL作品に充て、市場拡大に意欲を見せている。

TATでは、22年の日本人旅行者の誘致目標を約30万人に設定。そのうちロケ地ツアーなどを目的にしたBLドラマファンの渡航者を22年は約1,000人、23年には約5,000 人に増やすことを目標にしている。

今年7月までTAT大阪事務所の所長を務め、モニターツアーにも参加したチャーンユット・サウェートスワン前所長は、「それらは入国規制や旅行業界の受け入れ態勢などがコロナ前の水準に戻った場合の試算」と前置きをしつつ、「タイの観光産業にとって日本は大きな需要が期待できる市場の 1 つ。将来的にはBL以外のドラマや、映画、音楽を含むタイのエンターテインメント全体が、日本市場との相乗効果をもたらしてほしい」と期待を寄せる。

8月20日の午後。バンコク郊外にある収容人数1万2,000人のアリーナで、BLドラマ出演俳優による歌やトークのイベント「LOVE OUT LOUD FAN FEST 2022」が開催された。会場周辺では、タイ人に交じって日本人女性らしき姿もちらほら見られた。

声をかけると「横浜からやってきた」と40代の2人組。「ドラマを通じ、新しい文化を知れたことがうれしい」と顔をほころばす。イベント観覧のため3日間の旅程でやってきたという一人旅の女性は「俳優や作品自体も魅力だが、それらを自主的にサポートするタイのファン文化がすばらしい。SNSを通じ、自分もいろいろなことを教えてもらい優しさに感動した」と語る。「またぜひタイに来たい」と加えた。

【動画】人気俳優が出演したGMMTV主催イベント「LOVE OUT LOUD FAN FEST 2022」の会場周辺の様子=8月20日、ノンタブリ県(NNA撮影)

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