【現場ウオッチ】
匿名アートが訴える
ミャンマー女性の声
昨年2月にクーデターが起きたミャンマーの女性アーティスト2人が6月、日本を訪れた。2人は約1年前、国軍により自由な表現ができなくなった祖国を離れた。素性を明かせば家族らに危害が及ぶため、名を伏せて異国での活動を続けている。大切なものを守るため「匿名」を貫きながら、日本で訴えたこととは――。(NNA編集局大阪分室室長 齋藤眞美)
パフォーマンスを行う女性アーティスト=6月11日、福岡市(NNA撮影)
6月11日、福岡市博多区の「アートスペース テトラ」にしつらえられた舞台。純金のシートにくるまり眠っていた女性が次第に顔をしかめ始める。目覚めると、苦渋に満ちた表情で起き上がり、無表情で真っ黒のインクを塗りたくった顔を枕に押し当てた。枕の下で上げるくぐもった叫び声が静まりかえった会場に響く。
来日したアーティストの1人でパフォーマーの女性が表現したのは、「弾圧と厳しい規制でトラウマに苦しむ『匿名』の女性」だ。アイデンティティーを打ち出すことを否定され、枕を押し当ててしか、自らが望む正義を大きな声で口にすることができない。
クーデター直後、ミャンマーでは自由を求める民衆が一斉に蜂起。このパフォーマーもうねりに加わり、最大都市ヤンゴンの路上で民政復帰を訴えるパフォーマンスを行った。ただ、人々が堂々と拳を振り上げられたのはわずか1カ月余り。実弾を使った武力制圧が激しさを増し、抗議者やその家族までが根こそぎ摘発されるようになると、扇動する存在とみなされる芸術家や活動家は拘束、拷問され死に至ることも珍しくなくなった。
詩人や映画監督の拘束が相次ぎ、女性は「生き延びるため」出国。それ以降、ミャンマーの苦悩を表現するパフォーマンスを欧州の各地で20回以上行ってきた。海外にも諜報員がいるため、既に互いが知り合うコミュニティー以外では名を伏せて活動してきたという。
戦う民衆と国軍兵士
赤く塗りつぶした顔
今回の日本の企画は、元は民政移管後に急成長したミャンマー現代美術にスポットを当てようと、ミャンマーで開催するために計画されたものだ。だが、現地開催がクーデター勃発で絶望的となる中、ミャンマー人アーティストと日本人の支援者がテーマを練り直し、東京、福岡の2会場で緊急企画として実施した。
「匿名の女性たち――私たちは当事者ではない」と銘打った企画には、ミャンマー人女性アーティスト9人が参加している。そのうち、冒頭のパフォーマーと展示のキュレーターである女性の2人だけが、名前を明かさないことを条件に日本の地を踏んだ。パフォーマンスが行われたギャラリーで紹介された映像や写真、絵画は、ミャンマー現地で創作されたものを含め30点ほど。全て作者は「匿名」だ。
会場で匿名アートに見入る日本人の来訪者=6月11日、福岡市(NNA撮影)
バリケードが残るミャンマーの路上に、真っ赤な衣装を着て横たわる女性を描いた作品のタイトルは「よく眠れる場所はどこですか?」。突然ドアをたたかれ逮捕されることを恐れる夜が続くという、現実へのアンチテーゼだ。唐突に奪われた権利の回復を求め3本指を掲げる民衆と、対峙(たいじ)する国軍の兵士の姿を切り取った写真は、映り込む全ての人の顔が赤く塗りつぶされていた。
作品を選んだキュレーターの女性は「彼女たちは今も、静かに、そして強く、芸術と政治に深く関与しながら創作への意欲を失っていない。恐怖にさいなまれながら現状に向き合っており、強大なエネルギーが伝わってくる」と話す。安全上、日本に足を運べなかったアーティストを含む全員の願いは、アートを通じて「世界に訴える」「声を上げる」ことだ。
アートが世界に飛躍
スーチーの黄金時代
2011年の民政移管前は検閲などで読みたい本さえ手に入らなかったミャンマー。2人のアーティストにとっては21年にクーデターが起きるまでの10年間、特に拘束中の民主化指導者アウンサンスーチー氏が率いた後半5年間は「黄金の時代」だったという。
「海外から往来した芸術家に接触できるようになり、多くの出会いと知識を得た。今の私たちを導いた全てだ」。周辺のアジア諸国や欧州での研修機会、エキシビションへの参加も増え、多くのアーティストが世界に羽ばたいた。
1988年の民主化デモ、2007年のサフラン革命を含め、半世紀以上を独裁政権下で生きてきたキュレーター女性の祖母は、スーチー氏の率いる国民民主連盟(NLD)が勝利した15年の総選挙を見届け94歳で亡くなった。「人生で初めて自由の中にいる。この上なく幸せだ」と語り、孫の未来を前途洋々だと信じていたが、その全てがクーデターで断ち切られた。
女性は「明日には、2日後には、3週間後には、2カ月後には、勝利を手にすると信じてきたが、今は長くかかるだろうと思う」と話す。政変から既に16カ月。クーデターでの混乱に新型コロナウイルスの感染拡大が追い打ちをかけ、ミャンマーでは数千人が亡くなった。
絶望の淵でも、出品したアーティストを含む全ての表現者が活動を止めないのは、アートの力を信じているからだ。「新聞やテレビでは(日々の事象に伴い)トップニュースが入れ替わるが、アートはより深層の個人的な出来事を長期にわたり伝えていけるはずだ」(キュレーターの女性)
実際、今年2月のロシアによるウクライナ侵攻後、日本国内では昨年まで新聞紙面を埋めたミャンマー政変のニュースが減少。それでも、アートを通じてミャンマーを知りたいと望む日本人が足を運んだ福岡の会場に掲げられたボードには、彼女たちの強いメッセージがあった。「展示が伝えることは、自分たちの肩に国を背負うという責任だ」「私たちの言葉を読み、耳を傾けてほしい」
正義叫ぶだけ
なぜ顔を隠す
パフォーマンスにはミャンマーを表す象徴的なカラーである「金」と、アイデンティティーを消し去る「黒」を取り入れた=6月11日、福岡市(NNA撮影)
約30分のパフォーマンスの最終シーン。仮面をつけた女性は、分身のように横に置かれた「顔」の模型の頭部にピンを刺し、果てしない苦悩を表したその後、顔を露出した。りんとした表情で会場を見据えた、その理由を問いかけてみた。
女性は、関心を示してくれた来訪者への謝意だとした上で、「何も悪事をせず、正義を叫ぶだけで、なぜ私たちは顔を隠さなければならないのか。それを問いかけている」と続けた。
日本に続き、フランス、オーストリアでも現地の支援者と協力した企画が予定されている。「この先も諦めるつもりはない」。伝えるために自分については明かせなくても、生きて、伝えたいことがたくさんある。そして、いつか帰ると決めている祖国には、平和が必ず訪れることを願い、待っている仲間や家族がいる。
ミャンマーのクーデター 犠牲2,000人超える
2021年2月1日未明、ミャンマー国軍は、スーチー氏が率いるNLDが圧勝した20年11月の総選挙で不正があったと主張し、国家緊急事態宣言を発動。スーチー氏ら数百人を拘束し、全権を掌握した。これにより11年の民政移管、16年のスーチー政権始動を経て10年にわたり進んだミャンマーの民主化路線が断絶した。
国軍は、一方的なクーデターに反発し、路上のデモ活動や抗議のために職務を放棄する「市民不服従運動(CDM)」を行う市民に武力を行使。学生リーダーや活動家、芸能人らが指名手配の上、摘発された。路上で銃撃された若者、拘束後の拷問で殺害された政治家を含め、犠牲者は現地の市民団体が把握するだけで2,000人を超える。
現在、都市部でのデモは影を潜めたが、軍に不満を持つ市民の取り締まりは継続。国境地帯では武器を手にした市民組織と少数民族武装勢力が国軍と対峙し、内戦状態にある。国軍は6月下旬、軟禁状態だったスーチー氏を刑務所に収監した。
(齋藤眞美)
〈参照記事〉6/23 市民団体による調査で犠牲2000人超え
6/24 スーチー氏、刑務所へ