NNAカンパサール

アジア経済を視る July, 2022, No.90

【ビジネスノート】

生産性アップの裏に日系の技
タイで始まるスマート農業

タイで農業のスマート化に向けた取り組みが始まっている。タイは農業が労働人口の約30%を占めるものの、国内総生産(GDP)に占める割合は8%ほど。鍵となるのは生産性の向上だ。日系企業もスタートアップを中心に、情報通信技術(ICT)を活用した農業のスマート化に向けた取り組みが増えており、成果も上がっている。地元の農家や消費者の間でも好評だ。(NNAタイ副編集長 坂部哲生)

バンコクの催事で販売された化粧箱入りのイチゴ。スタートアップの日本農業が北部チェンマイ県で栽培している(同社提供)

5月中旬のバンコク。高級ブランド店が立ち並ぶ商業施設「サイアムパラゴン」前で行われた食品イベントに、大粒で色鮮やかなイチゴがずらりと並んだ。POPには英語で「メイド・バイ・ジャパン」、そしてひらがなで「さくらいちご」の文字。このイチゴの栽培を手掛けたのがスタートアップの日本農業(東京都品川区)だ。

栽培の拠点は北部チェンマイ県。タイでは鮮度が良い付加価値ある青果物の需要が高まっているものの、本来冷涼な環境で育つイチゴに適切な栽培技術が普及していない。同社の飯塚崇矩氏によると、タイで一般に栽培されてきたイチゴは酸味が強いという。栽培に適した温度は24度以下だが、気温の高いタイでは早く熟してしまい、甘みが乗る前に収穫しなければならないからだ。

 

チェンマイでのイチゴ栽培の様子(日本農業提供)

そこで、飯塚氏はチェンマイの標高1,000メートルの高地にビニールハウスを設置。約50個のセンサーを通じてハウス内の温度、湿度、土の中の水分や温度などを測定することで、イチゴ栽培に最適な環境を数値化した。さらに光合成に必要な色素「クロロフィル」を測定するセンサーを通じて、イチゴの収穫量を左右する葉の光合成の潜在力(ポテンシャル)も見える化した。

既に栽培に関する初期的な実証実験を終えて、チェンマイで栽培したイチゴはバンコクの大型デパートの催事場や大手スーパーなどで販売している。価格は300グラムで300~400バーツ(約1,120~1,490円)と、マンゴーやバナナなどタイ産の果物と比べると割高だが、「日本の輸入イチゴには普段手を出せないという消費者も何とか日常消費目的で手が届くレベル」(飯塚氏)だ。消費者からの反応は上々だという。

 

チェンライの農園でデータを取る、ジャパン・アグリ・チャレンジの迫田代表(左)と小井貴博・農場統括部長(同社提供)

「タイでもイチゴのハウス栽培のめどは立った」という飯塚氏。現在も、一層の品質向上や生産管理費を抑えるための実証実験を続けている。ハウス栽培が普及すれば、タイ農家の収入増にもつながる可能性がある。

タイでの日本品種の農産物栽培で先駆けとなったジャパン・アグリ・チャレンジ(タイランド)は、既にトマトの栽培で成果を上げている。同社の迫田昌代表がこだわったのは、センシングデバイスを活用して徹底的にデータを収集・活用するという合理的なアプローチだ。

タイは高温多湿で、雨期には日照時間が短くなり、トマト栽培に適した気候からは程遠い。そこで同社はハウス内の温度、湿度、土の中の水分や温度などを測定。トマトの発育状況に対する仮説との検証を繰り返し、最適な栽培法を確立した。現在も生産性のさらなる向上に向けたデータ収集と活用を継続しており、「年産規模を現在の130トンから150トンまで引き上げられるはず」(迫田代表)という。

農地をAI自動区分
スマホから生育確認

スマート農業の普及にはデータ基盤の整備が欠かせないが、タイでは依然として紙でのデータ回収や手作業による入力、現地で目視による確認業務が行われているのが実情だ。そこに注目したのが、2018年設立のサグリ(兵庫県丹波市)。農業分野での衛星データ活用に強みを持つ同社は今年4月、タイ中部スパンブリ県で、細かい流線形の農地を人工知能(AI)を使って正確に自動区分する実証実験を終えた。

ドローン(小型無人機)や衛星画像を使って農地をAI解析するには、それぞれの農地の輪郭を示すことが先決。肥料・農薬の投入量、作業記録など区画内のさまざまな情報をドローンや衛星画像などのピクセル値と突き合わせることで、より精密な解析が可能となるためだ。

サグリは細かい流線形の農地を、AIを使って正確に自動区分した(同社提供)

同社の坪井俊輔最高経営責任者(CEO)によると、実証実験に参加した農家や組合、行政担当者は農業のスマート化に強い関心を寄せているという。

また、双日が出資する米スタートアップ、リカルト(Ricult)は、収穫量の最大化や農業の効率化に向け、営農サイクルをサポートするデジタルソリューションを開発した。現在は、衛星画像やAIで分析・ビジュアル化したサトウキビの生育・収穫状況をスマートフォンのアプリで確認できるサービスを農家向けに展開中だ。農家には天候の長期予報のほか、適切な種まきや収穫の時期に関する情報も提供する。肥料や農薬などの農資材も推奨する。

伝統農法に科学視点
標準化と生産性追求

農業機械メーカーのクボタは、タイ子会社のサイアムクボタ(SKC)が東部チョンブリ県で運営する自社農場「クボタファーム」での試行錯誤を通じて、タイの伝統的な農法に「科学的な視点」を取り入れようとしている。

クボタのタイ子会社が運営する「クボタファーム」を訪れたタイのプラユット首相(タイ政府フェイスブックより)

タイではコメのほか、キャッサバやサトウキビなどさまざまな作物が栽培されているが、これまでの経験や勘に頼った昔ながらの農法が主流だ。例えば、田植えでは苗を植えずに、種もみを田んぼに直接まいて自然に芽が出るのを待つ直播(ちょくはん)が一般的。灌漑(かんがい)施設が不十分であるため、干ばつや洪水の影響を受けやすく、農家の収入は不安定だ。

「水や肥料の適量はどれくらいか」「どのような質の土壌を作ればいいか」「どうすれば水を節約できるか」。SKCの東隆尚社長は、タイでのスマート農業を「標準化と生産性の向上」と定義し、クボタファームでは最適解を求めてさまざまな試行錯誤が続けられている。

「実証実験と呼べるよう大げさなものではない。実際の農業では失敗は許されないため、われわれが農家に代わって地道にトライ・アンド・エラーを行っているようなもの」と東社長は説明する。

クボタファームへの来場者には、農機に実際に触れてもらう機会も提供する。例えば、サトウキビの葉を除去するインプルメント(周辺機)が普及すれば、サトウキビや稲わらの野焼きを大幅に減らすことが可能だ。収穫時期を迎えたサトウキビは大量の葉で覆われており、収穫作業の妨げとなっている。そこでタイでは収穫前に葉を焼き払う農家が多く、大気汚染の原因の1つとされている。

クボタファームの実験で得た知見は、サイアムクボタコミュニティーエンタープライズ(SKCE)という有志の農家グループなどにも提供する。SKCの花岡孝副社長は「農家グループは数年以内の収入アップを目指して生産性の向上に取り組んでいる。これまでの農法を変えてもらうには、目に見える成果が必要だ」と話す。

伝統的な農法に執着してきたタイの農家に「科学的な視点」を取り入れてもらおうとするクボタの取り組みにはタイ政府も注目。プラユット首相が5月、クボタファームを視察して「農業はタイの未来」とスタッフを激励した。



デジタルで農地を設計
農作物の流通支援も

クボタはデジタル技術を活用した農業支援にも乗り出した。クボタとSKC、地場の素材最大手サイアム・セメント(SCG)の3社はこのほど、合弁会社「カセートイーノ(KasetInno)」を設立した。資金力のある比較的規模の大きい農家や法人組織を対象に、農地の設計や開墾、管理までワンストップで行う「カセートイーノ・ソリューションズ」を提供する。既存の農家からも「作業効率が高くなるように農地を設計してほしい」という声が上がっているという。

新会社ではサイアム・セメントの技術力を活用して、栽培した農産物を見栄えよくパッケージングできるように農家を指導していく。付加価値を付けることで、農家の収入アップにつなげる狙いがある。タイでは、仲買人に農産物を買い叩かれるケースが多く、農家の収入が増えない一因になっているという。「農機を使って収穫を増やしたいけれども、購入資金がない」という零細農家を対象に、農機のレンタル事業の立ち上げも検討している。

新会社のもう1つの事業の柱が「カセートイーノ・マーケット」事業だ。オンラインを通じて農家が生産した農作物の流通を支援したり、クボタ製農機の交換部品などを販売したりする。

クボタがタイで農業のスマート化の推進に力を入れる背景には、同国の農機市場が成熟段階に入っているという事情もある。資金的に余裕のある農家は農機を一通り取りそろえるなど、需要が一巡した感がある。クボタの取り組みによって農家の生産性が向上して収入が増えれば、農機市場自体のパイ拡大が期待できる。

日本貿易振興機構(ジェトロ)バンコク事務所の五十嵐淳志次長は「農業大国のタイで、日本企業による最先端のデジタル技術などを活用した効率化や生産性向上の取り組みが始まったことは極めて有意義。ジェトロとしても、この取り組みを引き続き支援していく」と述べた。

出版物

各種ログイン