NNAカンパサール

アジア経済を視る February, 2022, No.85

【特別寄稿】

「ぼくたちを忘れないで」
潜入・ミャンマー避難民キャンプ

「出口の見えない真っ暗なトンネル」。タイと国境を接するミャンマー東部カイン州(旧カレン州)の避難民キャンプに潜入すると、そんな言葉が頭に浮かんだ。国軍に襲われる恐怖、途絶える食料や医療、先の見えない不安。弾圧を逃れた人々には悲壮感が漂う。ただ同時に、そこには子供たちの弾けるような笑顔や日々を強く生き抜こうとする、たくましい人間の姿もあった。(東南アジア専門ジャーナリスト 泰梨沙子)

避難民キャンプにいた子供たちの笑顔=2021年11月、ミャンマー・カイン州(筆者提供)

エトゥタ避難民キャンプ

「関係者以外立ち入り禁止」

タイの北部メーホンソン県メーサリアンから3時間。でこぼこの山道を車で走り抜け、国境を隔てるサルウィン川を船で45分かけてミャンマー側に渡ると、カレン語(ミャンマーやタイに住む民族、カレン人の言語)でこう書かれたサインが目に入った。

この地域はカレン族の武装勢力が支配し、非公式ルートでミャンマーに入境することができる。2021年11月、筆者はタイから訪問する支援団体の関係者に同行。ミャンマー国軍の弾圧を受ける少数民族の実態を知るため避難民キャンプに潜入した。

【動画】避難民キャンプまでのタイ側の道のり=21年11月、タイ(筆者提供)

武装勢力が管轄する川岸の検問所にはミャンマー人の船員だけが出向き、船で待つ。頻繁に訪れるタイの関係者と一緒だったせいか、身元を確認されることはなかった。

太陽がじりじり照りつける午後2時ごろ、船員の手を借り船を降りる。ほこりっぽい草むらをかき分け進むと、深い緑が生い茂る中に高床式の住宅がぽつり、ぽつりと見えてきた。

不意に笑い声が聞こえた。振り返ると、子供らが小型の自転車で駆け抜けていった。木陰では数人の子供がスマートフォンを囲み、画面のアニメにくぎ付けだ。「ここが避難民キャンプなのか」。思い描いていたよりも、ずっと穏やかな空気が流れていることに戸惑いながら歩みを進めた。









サルウィン川のミャンマー側。向こう岸はタイ=21年11月、ミャンマー(筆者提供)

サルウィン川のミャンマー側。向こう岸はタイ=21年11月、ミャンマー(筆者提供)

【動画】1~2人用ほどの小さなボートで渡河する(筆者提供)

卓上にノートPCだけ
避難民キャンプの生活

【動画】06年開設のエトゥタ避難民キャンプ。人々は高床式の住居で暮らし、太陽光発電パネルで電力を賄う(筆者提供)

この「エトゥタ避難民キャンプ」は、5つに区切られた敷地に2,000人以上が暮らすという。カレン族の武装勢力の支配地域では、数十年にわたり国軍との戦闘が続く。軍政時代の06年に情勢が悪化すると各地の村人がジャングルに逃げ込み、キャンプを作った。

民政移管後の15年、ミャンマー政府と武装勢力は停戦協定を締結。比較的、穏やかな日々が続いたが、21年2月の軍事クーデター後は情勢が再び悪化した。避難民によると、キャンプの5キロメートル圏内で軍による空爆が頻発しているという。キャンプ内の被害者はいないが、攻撃を受けた近隣の負傷者が搬送されてくることもあるようだ。

キャンプのリーダーを取材に訪ねると、高床式の住居に案内された。家屋は全て木材で作られ、踏み込むとミシ、ミシと音がする。扇風機や冷蔵庫、テレビなどの家電はなかったが、テーブルにパソコンが置かれており、そこだけ文明の匂いがした。集落に送配電設備は見当たらないので太陽光発電パネルの電力を利用しているのだろう。

しばらくすると、リーダーのコドさん(男性、48)ら数人が入ってきた。皆、一様に痩せ細って何人かは歯がボロボロだった。コドさんは壁にもたれるように座り、伏し目がちだ。初めに出会った子供らのエネルギーとは、大きな落差があった。「国軍にとにかく市民の殺害をやめてもらいたい。国際社会からも、もっと訴えかけてほしい」。そう話すコドさんも、06年に故郷の村を襲撃されて家族と逃げてきた。

住居内部。卓上にノートパソコンがある(筆者提供)

また、「食料や医療物資がどんどん減っている」といい、さらなる人道支援をコドさんは呼びかける。06~08年は国際社会から多くの食料支援がキャンプに届いたが、09年以降は減少。15年の停戦協定を受け、17年には主要な支援団体である国境コンソーシアム(TBC)からの食料配給が停止された。現在は一部の団体が、ほそぼそ支援しているという。

ただ、支援元であるタイ側の都市からの道のりは、車ごと転落しそうな危険な山道だ。さらに、新型コロナウイルス感染防止のためタイの国内移動が制限された時期もあった。支援を届けるのも容易ではない。

エアコンない診療所
傷病者はタイル床に

診療所。床はタイル製(筆者提供)

診療所。床はタイル製(筆者提供)

取材中に突然、若い女性が息を切らして部屋の中に入ってきた。言葉は分からないが、緊迫した空気が広がる。訳してもらうと、急病人が出たようだ。取材をいったん中止し、コドさんらと共に様子を見に行った。

唯一の診療所は、コンクリートの平屋でタイル床が広がっていた。包帯や薬など簡易的な医療キットがあるだけで、炎天下でもエアコンどころか扇風機すらない。幸い、急病者の容体は落ち着いたようだが、設備が不十分なため重症の場合はタイ側に搬送しなければならないという。

取材後、コドさんらとの会食に招待された。家ひとつ訪ねるにも小川を渡らなければならず、靴をぬらして歩みを進めた。吹き抜けの食堂のような場所に通されると、白米とともに鶏肉の炒め物、ペースト状の牛肉、魚のスープなど次から次に料理が出された。

見た目はタイ料理と変わらない。恐る恐る鶏肉を口に運ぶと、タイの都市部では食べたことがないほどの弾力で、獣臭が口に広がる。先ほど見かけた、野原を力いっぱい走り抜けていた、たくましいニワトリの姿が頭に浮かんだ。

食料不足と聞いた後、振る舞われたごちそうだ。「絶対に残してはいけない」と自身に言い聞かせて一心不乱に食べ続けると、先ほどまで力なさげだったコドさんの顔がぱっと明るくなった。取材の時よりずっと話が弾む。タイ語が通じたので「アロイマーク(とてもおいしい)」と伝えると、コドさんは「どうかまたここに来てほしい」と笑顔を見せてくれた。

振る舞ってもらった食事(筆者提供)

振る舞ってもらった食事(筆者提供)

【動画】キャンプにいたニワトリ(筆者提供)

「ここにいるしかない」
子供の将来に苦悩する

食事を終えてキャンプ内を歩くと、野原で子供たちが元気にサッカーをする姿が見えた。どこもかしこも子供ばかり。ここに暮らす2,000人以上のおよそ半分は子供だという。多くの子供はここで育ち、隔離された世界しか知らないまま大人になっていく。6歳の時に住んでいた村から逃れてきたノイポさん(女性、21)もその一人だ。

「将来どうなるか全く分からないけど、ここにとどまるしか選択肢がない」。ノイポさんは、ここで2人の子供を育てる。「体力的に来られなかった両親は村に残り、なかなか会えない。キャンプを出れば軍に襲われたり、拷問されたりするかもしれない」と恐怖を語る。

ここの子供たちの将来といえば、キャンプにとどまって支援を受けながら綱渡りのような生活を続けるか、タイ側に不法入国して「3K(危険、汚い、きつい)」と呼ばれる仕事に就くか、その二択だ。不法入国すれば労働者の権利など一切ないし、ブローカーにだまされ人身売買の被害者となり、多額の借金を負わされる例も多い。ノイポさんの母親としての苦悩が伝わってくる。

そうしたノイポさんの心配をよそに、子供たちはケタケタと笑いながら走り回る。無邪気にはしゃぐ姿を見ている間は、不安げだった彼女の顔に優しい笑みが浮かんでいた。

「どうか忘れないで」
置き去りにする罪悪感

キャンプの去り際、同行したタイ人がいくらかタイの現金(バーツ)と菓子などをコドさんに渡した。ここではミャンマー通貨(チャット)ではなくタイバーツが流通し、食べ物もタイ製が好まれるという。住民のほとんどがタイ語を話すくらいだ。

コドさんは「だって、ここはタイが近いんだから当然だろう?」と笑う。キャンプはミャンマーにあるが、避難民の気持ちは支援を続けてくれるタイの方が近いということなのかもしれない。コドさんとタイ人らは、冗談を言いながらいつまでも笑い合っていた。

突き刺すような太陽の光の下、どこからともなくギターの音色が聞こえてきた。弾き語りする歌い手の居場所は分からないが、力強い歌声が一帯に響く。皆が話すことをやめ、その音に身をゆだねた。

哀愁漂うバラードを聞いていると、彼らを真っ暗なトンネルに置き去りにしていくような、罪悪感にさいなまれた。訪れたキャンプは、穏やかな見た目とは裏腹に避難民の悲しみや不安が満ち溢れた場所だった。その中でも人々は楽しみを探し、必死に生きようとしていた。ただ、彼らの置かれた境遇で未来に希望を見いだそうとするのは、あまりに過酷だ。国際社会は、このまま彼らを見殺しにすることしかできないのだろうか。

別れのあいさつをすると、コドさんは「ぼくたちのことを、どうか忘れないで」と言い、手を振ってくれた。その後ろでは、切ないギターの音色が夕日に照らされる山々をいつまでも彩っていた。

深刻化する戦闘被害、日系企業は行動を

国軍の攻撃を逃れ、慈善団体の支援を受ける避難民の女性。対岸に3,000人が避難していると訴えた=21年12月、タイ・ターク県(NNA)国軍の攻撃を逃れ、慈善団体の支援を受ける避難民の女性。対岸に数千人が避難していると訴えた=21年12月、タイ・ターク県(NNA)

国軍の攻撃を逃れ、慈善団体の支援を受ける避難民の女性。対岸に数千人が避難していると訴えた=21年12月、タイ・ターク県(NNA)

筆者がキャンプを訪れた1カ月後の2021年12月、国軍がカイン州のレイケイコー村を急襲。現在まで、軍と武装勢力の双方に死傷者が出ている。米系メディアのラジオ・フリー・アジア(RFA)によると、避難民のタイへの流出は12月29日までに6,000人を超えた。エトゥタ避難民キャンプはレイケイコー村から離れており、直接的な被害は受けていないという。

カイン州に隣接する東部カヤー州の村では同24日、国軍が戦闘から逃れようとしていた女性や子供を含む避難民30人以上を殺害。会員制交流サイト(SNS)では、トラックの荷台に積まれて車両ごと焼かれたとみられる遺体の画像が拡散した。同州の州都ロイコーでは、市民の3分の2に当たる6万人が、隣接するシャン州南部などに避難している。

現地のミャンマー人からは、「ミャンマーと政治・経済面でもつながりが強い日本から、国軍に武力行使をやめるよう強く訴えかけてほしい」と哀願する声が、筆者の元に連日届いている。日本の政府や企業は、人権侵害が起きているミャンマーへの投資や事業展開について十分に再考し、ミャンマーの民主化に資する行動を取るべきだろう。

(泰梨沙子)


     

泰梨沙子(はた・りさこ)

2015~21年、NNA記者。タイ駐在5年を経て、21年10月に独立。フリージャーナリストとしてタイ、ミャンマー、カンボジアの経済、人道問題について執筆している。
ツイッターアカウント「@hatarisako」

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