NNAカンパサール

アジア経済を視る May, 2021, No.76

【アジア取材ノート】

コロナ禍に魚とコメを物々交換
タイ社会「共助の力」

タイで新型コロナウイルス感染症の流行第1波が発生してから1年。政府は非常事態宣言を発令し、ロックダウン(都市封鎖)を含めて強権的な対策を講じた。市民や地域社会、企業は経済的に苦しむ人を支えるため、工夫した食料の物々交換や分け合いなどを実施。人々の共助の力により危機を乗り切ろうという機運が高まっている。(NNA編集局編集委員 京正裕之)

分け合う棚「トゥー・パン・スック」=タイ(トゥー・パン・スックの公式フェイスブックより)

新型コロナウイルス感染症の発生で外国人旅行者が激減し、閑散としたプーケット島の歓楽街のバングラ通り=20年12月、タイ・プーケット県(NNA撮影)

「アイ・ワナ・ウィッシュ・ユー・ア・メリークリスマス」。2020年12月末、タイ最大のリゾート地である南部プーケット島の商業施設では、大半のテナントが閉鎖していた。客は数えるほどで、BGMがむなしく響く。書き入れ時となるはずの年末年始。歓楽街として有名なパトンビーチ近くのバングラ通りの静けさも異様だった。

配車アプリで呼んだ車は、乗用車ではなくツアー客向けのバンだった。運転手の男性は「ビーチに観光客はいないよ。今となっては日本人駐在員のゴルフ客が頼りさ」と、深刻な話を冗談交じりに話す。

シャッター通りと化したバトンビーチの繁華街=20年12月、タイ・プーケット県(NNA撮影)

足元の雇用情勢は厳しい。プーケット県の20年第3四半期(7~9月)の失業率は9.1%と、第1四半期の1.5%から急激に悪化。失業者数は5.6倍に膨れ上がった。

一方で農業・林業・漁業に就く人は前四半期比で5割増加。どうにか食いつなごうと第1次産業に職を求める動きが見られる。プーケット島は、04年12月に起きたスマトラ島沖地震で甚大な津波の被害を受けて以来の危機に瀕している。

魚1キロでコメ5キロ
海と山の民が物々交換

この観光の島で、コロナ禍の困難を乗り越えた人たちがいる。タイ語で「海の民」を意味するチャオレー(モーケン族)と呼ばれる少数民族だ。プーケット県や南部パンガー県、クラビ県などアンダマン海沖の島や沿岸に暮らす。

漁で生きる海の民は、昨年3月のロックダウンで人の往来が途絶えると、販路と現金収入を共に失った。一部の人は国が発行する身分証明書を持たず、給付金も受給できなかったという。

カレン族の人々らのコメと交換するために魚の干物を作るチャオレーの人々(チュンチョン・タイ・ファウンデーション提供)

交換に向け食料の重さを計る住民(チュンチョン・タイ・ファウンデーション提供)

そこで人々は、獲った魚を約1,200キロメートル以上離れたタイ北部・東北部の少数民族や農家らが収穫したコメと交換する手に出た。物々交換は、チャオレーや土地を持たない零細農家らを支援する団体「チュンチョン・タイ・ファウンデーション」のマイトレー代表が提案した。

チャオレーの人々から「魚は提供できるが、何か手立てはないか」と、助けを求められたマイトレー氏は北部に住む少数民族のカレン族と連絡を取り、魚とコメの交換を持ち掛けた。カレン族は通常、コメを自炊用、販売用、分け合い用の3種類に分けて生産するため交換できると考えたという。

山岳地帯に住むカレン族もロックダウンで海産物が手に入りづらくなっていたこともあり、話はまとまる。市場を通さず貨幣を使わない交換の比率は、魚の干物1キログラムに対してコメ5キロとした。「実際はカレン族の人は、2キロの魚に対して厚意で15キロのコメを送ってくれた」(マイトレー氏)

交渉はカレン族と最初に始めたが、実際の交換は別に声掛けした東北部ヤソトン県の農家と20年4月に開始。その後、北部のチェンマイ、メーホンソン、ナーン、ランパン、チェンライ、スリン、ウボンラチャタニ各県の人々がコメの交換に応じた。

マイトレー氏によると交換は約10回、チャオレーには60トンに上るコメが届けられた。輸送は、訓練飛行するタイ空軍の航空機や個人の宅配事業者、ゾウの輸送用車両などを使った。

なお、民間企業2社からもコメと魚の交換の申し出があり、この時はコメではなくせっけんや洗剤などと交換した。

こうして、海の民は山地民との助け合いながら、貨幣を使わずにロックダウンという最大の危機を乗り越えた。地域によっては野菜と果物を交換するといった取り組みも始まっているという。

マイトレー氏は、魚とコメの交換プロジェクトの成功は「タイという国には互いに助け合えば困難の中でも生きていける社会があり、タイ人が持つ優れた人間性を示した」と話す。

幸せ分け合う無人の棚
SNSから各地広がる

必要な分を持ち帰り、分け合えるものがあれば置いてください――。ロックダウン開始から1カ月後の昨年4月27日、首都バンコク4カ所と東部ラヨーン県1カ所に「分け合いの棚」と書かれた無人の棚が出現した。

ボランティアグループが、経済苦の人を支えるため、保存できるインスタント麺や缶詰、紙パック入り飲料などを棚に置いた。寄付された食料は誰もが持ち帰ることができる。

棚に寄付された食料は誰もが持ち帰ることができる(トゥー・パン・スックの公式フェイスブックより)

棚の食料は保存が利くものを中心に生鮮品や総菜もよく見られる(トゥー・パン・スックの公式フェイスブックより)

これを見た地域住民は、無人の棚に次々と水やコメ、野菜、卵、菓子、調理済みの料理、歯磨き粉などの日用品を置いた。棚は「トゥー・パン・スック(幸せを分け合う棚)」と呼ばれた。

SNSに棚の動画が投稿されると瞬く間に拡散し、市民だけでなく民間企業や公的機関も各地に棚を設置した。わずか5日後には全国77都県、グループが把握する限り800カ所以上へと拡大した。

企画の仕掛け人、ビジネスコンサルタントのスパキット氏は「困っていれば誰でも受け取れる。そして誰もが分け合うことができる」と話す。

アイデアは、米国で16年に設置された近隣住民が食料不安を助け合う寄付の棚「リトル・フリー・パントリー」を参考にした。寄付などにより徳を積むとされる仏教のタンブン(喜捨)に似ていることから始めた。

タイでは、寺院や民間企業、各種の団体が食料を提供する救貧事業がよく行われる。一方、分け合いの棚は、家庭で余った物をシェアする感覚でできることが救貧事業と異なる点だという。

「分け合う行為自体は、タイの社会や文化に基づいたものだ。かつては近隣住民との間で、自分が作った料理や市場で買った食品をお裾分けしていた。幸せを分け合う棚はタイ人の親切心を示す場となった」(スパキット氏)

日系企業も支援参加
タイ人の精神に感心

日系企業にも分け合いの棚への支援の輪は広がった。キヤノンのタイ販売子会社であるキヤノンマーケティング(タイランド)の横田裕史社長によると、棚の存在を知った社員たちが有志で寄付する物資を募り始めた。

社員らは保存食、水、トイレットペーパー、歯磨き粉、生理用品などを自宅からあるいは購入して持ち寄った。そして、バンコク本社と支店の従業員がバンコク、バンコク西郊サムットサコン県、チェンマイ県の計39カ所の棚に数週間かけて置いて回り、段ボール約70箱分を届けたという。

同社は社会貢献活動を実施しているが、今回は社員から声が上がって始まった活動だったという。タイが5カ国目の駐在国となる横田社長だが、「社員から自然発生的に『自分たちもこの活動をやろう』という話になった。タイ人のホスピタリティー精神には本当に感心する」と振り返る。

タイは所得格差が大きい国として知られるが、前出のスパキット氏は「分け合いの棚では所得の大小に関係なく誰もが協力した」と話す。収入が減っても食料を受け取れるため、窃盗などの犯罪を抑制できたのではないかとも指摘する。

タイでは依然として所得の再配分に大きな課題が残る。しかし、数値で計れない共助がコロナ禍で姿を現したのも、また事実だ。

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