「東西」の本から「亜州」を読み解く
アジアの本棚
『北京から来た男』
ヘニング・マンケル 著、柳沢由実子 訳
スウェーデンを始めとする北欧ミステリーは日本でも人気があるが、アジアに絡む作品はあまり読んだことがない。
2015年に亡くなったスウェーデンの大家、マンケルのこの作品は例外とも言え、過去のアメリカから現在の中国やアフリカまでを股にかけた壮大なスケールの物語だ。原著は08年刊行だが、今も中国が抱える問題にも切り込んでおり、全く古びていない。
ある冬の日、スウェーデンの寒村で高齢者ばかりの村民の大半が惨殺されているのが見つかる。女性裁判官のビルギッタは、被害者に母の養父母が含まれていたため自分でも事件を調べ始める。
細い糸のような手掛かりから中国人の存在が浮上。ビルギッタは私的に北京へ飛び関係者に事情を聴いてみようとするが、それが暴力の連鎖するパンドラの箱を開けてしまう。
ネタばれになるため詳しくは触れないが、19世紀のアメリカで鉄道建設のために多数の中国人労働者が酷使された歴史が物語全体の伏線になっている。
ビルギッタが若い頃は左翼で毛沢東主義に心酔したこともあるという設定になっており、彼女がビルの林立する現代の北京の変貌ぶりに戸惑うところも面白い。
訳者の後書きによれば、マンケル自身も左翼的な思想を生涯貫き、アフリカに住んだこともあるという。行間から伝わってくる人種差別や植民地主義への怒りは、経験に基づくものだったようだ。
さて、こんな奴隷労働は過去の話かと思っていたら、年明けに米国営放送『ボイス・オブ・アメリカ(VOA)』の中国語版ニュースで、米ニューメキシコ州で昨年、多数の中国人労働者が大麻製造工場で強制的に働かされていたという事件を知った。
新型コロナウイルス禍で仕事を失った人たちが「農場の仕事がある」などとだまされて来たのだが、ろくに食事も与えられずやせ細った姿で救出されたという。
19世紀と異なるのは、大麻工場に投資していたのもあまり富裕でない中国人たちだということで、高利回りの「合法的な投資」だと勧誘され、摘発により全財産を失った人もいたと報じられていた。
事実なら、弱者が弱者から奪うというやりきれない構図だが、泉下のマンケルはなんと言うだろうか?
『北京から来た男』(上下巻)
- ヘニング・マンケル 著、柳沢由実子 訳 東京創元社 創元推理文庫
- 2016年8月10日発行 1,140円+税(上下巻同じ。単行本も同社から14年刊)