NNAカンパサール

アジア経済を視る June, 2020, No.65

【NNAインドルポ】

世界最大のロックダウン
インド、街から人が消えた

インドは新型コロナウイルスの感染防止対策として3月下旬から全土でのロックダウン(都市封鎖)を実施した。13億6,600万人の人口を抱えるだけに「世界最大のロックダウン」といわれた。必需品の販売店を除く全商業施設が閉まり、鉄道やバスといった公共交通機関だけでなくタクシーも利用できなくなった。封鎖の長期化により悪化した経済への打撃を最小限に抑えるため、5月に規制は大幅に緩和されたものの、感染者は15万人を突破し、中国を抜いてアジアで最多となった。ロックダウンされた街の様子を伝える。(NNAインド編集部=榎田真奈)

3月27日、人通りの無いグルガオンの大通りでゴミをあさるイノブタの群れ

3月27日、人通りの無いグルガオンの大通りでゴミをあさるイノブタの群れ

ゴミあさるイノブタ

オフィスや自宅があるハリヤナ州の街グルガオンは、人口200万を超す近代的な都市。隣接するニューデリーと合わせ「首都圏エリア」と呼ばれることが多い。日本をはじめ外資系企業が入るビルや通勤する人たちのマンションが立ち並び、成長するインドを象徴する活気ある街だった。ラッシュ時には渋滞する車であふれ、インドではあいさつ代わりのクラクションの音が響いていた。

封鎖後、街から人が消えてしまった。商業施設やオフィスビルは全て閉鎖となり、警察官が交差点で必須ではない車や人の移動がないかどうか監視している。人通りのない道路で4匹のイノブタの群れがごみをあさっている。ビルが立ち並ぶ大通りから離れた場所にある住宅街に行くと、アパートのベランダや一戸建て住宅の庭で電話をしている人の姿をようやく見かける。ほぼ全ての会社員が在宅勤務となっており、緊急事態宣言が出ても多くの人が出歩く日本とは対照的だ。

3月27日、グルガオンではラッシュ時に渋滞している通りも、車がほとんど通らなくなった

3月27日、グルガオンではラッシュ時に渋滞している通りも、車がほとんど通らなくなった

全土封鎖3日目の3月27日に外出した。開いているスーパーを探すのが目的だった。大気汚染が深刻なグルガオンでは見たことがないくらい澄んだ青空が広がるようになった。封鎖により自動車の往来がほぼなくなり、空気がきれいになったようだ。

デマ情報が拡散

「経済的打撃を伴うが、インドを救うには封鎖が必要」。3月25日午前0時に始まった全土封鎖は、モディ首相による前夜の演説で突然明らかになった。生活必需品の販売や電力といった生活に不可欠なサービスを除き、一切の経済活動を停止。演説後、封鎖前に食料や生活用品を確保しようとする人がスーパーなどに押しかけ列をなした。「明日はスーパーが開くのか分からない」という不安からだ。

3月27日、グルガオンにある大型スーパーの店先で間隔を空けて入店を待つ人の列

3月27日、グルガオンにある大型スーパーの店先で間隔を空けて入店を待つ人の列

都市から地方へ戻ろうとする出稼ぎ労働者が後を絶たない。地元紙タイムズ・オブ・インディア(電子版)によると、モディ首相が4月に入り「封鎖を5月3日まで延長する」と発表した後、職を失った労働者がインド西部の商業都市ムンバイのバンドラ駅に集まった。「政府が地方への列車を運行する」という誤った情報を聞きつけたからだ。この駅は感染拡大が懸念された地域にあるが、10分程度で周辺のスラムなどから押し寄せた人は1,500人以上に増加。「スラム(の住宅)に払う家賃さえない」といった声を上げた。一部の行動が過激になったため、警察は食料を配るなどして沈静化を図った。

インド北東部の農村では、外部からの進入を防ぐため独自にバリケードを築く村があり、故郷の家にたどり着けない人もいるという。「異教徒が故意にウイルスを広めている」という根も葉もないうわさから暴徒がなだれ込み、死傷者が出た村もある。

4月8日、ニューデリーとグルガオンの州境付近に設けられたバリケード

4月8日、ニューデリーとグルガオンの州境付近に設けられたバリケード

インドの農村における貧困層は推定2億6,000万人。政府は救済策を打ち出しているが、現金給付や食料の配給を隅々まで行き渡らせるのは難しい。政府からの送金を引き出しに外出した人々を警察が殴打する場面に遭遇した女性は「自分の命のために走って逃げた」と話した。

日本の駐在員は退避

4月に入り、日本へ帰ることにした。NNAがアジアの駐在員を対象に4月中旬に実施した調査で「社員が日本に退避した・退避中」と「退避の準備を進めている」を合わせた回答はインドが78.5%と国・地域別で最も高かった。公共交通機関が利用できず、生活していくのが容易ではなくなった。現地の医療施設への懸念もある。

出発当日、空港までは、特別に手配した運転手の車を利用した。タクシーや配車アプリさえも使えないためだ。空港に行く途中にある州境は封鎖されており、通過には特別な認可が必要だった。在インド日本国大使館が空港まで車で移動する日本人のために発行した文書と、インド外務省の文書とを合わせて掲示することで、州境を通過できることになっている。高速道路の料金所前に警察がバリケードを張っていた。検問かと緊張が走るも、ドライバーが「空港に向かう」と言うだけで、あっさり首を横に振った。インドの「OK」の合図だ。高速道路に入りしばらく走ると、2度目のバリケード。ここも「空港に向かう」と伝えるだけで通してくれた。日本人を乗せた自動車は簡単に通れるようだ。

4月8日、ニューデリーから東京に向かう臨時便は、ほとんどの席が埋まっていた

4月8日、ニューデリーから東京に向かう臨時便は、ほとんどの席が埋まっていた

空港の敷地内に入るところでまた検問があった。ドライバーと警備員がヒンディー語でもめだした。英語で内容を尋ねると「今日はフライトがない」という。家に引き返さなくてはならない事態を考えて、ドライバーを空港に待機させておくよう指示され、思わずチケットと今日の日付を確認する。いや、間違いなく今日だ。不安を感じつつターミナルに着くと、既に日本人の乗客が集まっていた。チェックインカウンターのインド人スタッフからは「日本に着いたら14日間外出を控えるように」との指示があった。

3月27日、グルガオンの住宅街にある牛乳販売店や路上の野菜販売は休業していた

3月27日、グルガオンの住宅街にある牛乳販売店や路上の野菜販売は休業していた

午後6時ごろ、無事に離陸し、羽田空港に到着したのは翌日午前5時前だった。入国審査でスタンプを押してもらい、到着ターミナルのベンチに座って「無事に帰国できた」とほっとした。

感染者、日に5000人

モディ首相は5月に入り、制限緩和へとかじを切った。経済活動への配慮からだ。インドはIT産業などをけん引役に急成長を実現したが、2020/21年度(2020年4月~21年3月)の国内総生産(GDP)成長率はマイナスになるとの見方も出始めた。

政府は5月4日以降、感染者が比較的少ない地域で制限を緩和した。条件付きでバスやタクシーの運行が許可された。5月には出稼ぎ労働者向けの特別列車の運行が始まったが、徒歩やバス、トラックなどでの故郷へ帰る人の移動は続いた。北部ウッタルプラデシュ州では、労働者を運ぶトレーラーとトラックが衝突し、少なくとも24人が死亡するなど事故が相次いだ。

3月27日、グルガオンの住宅街にある小規模なスーパーの棚には空きが目立った

3月27日、グルガオンの住宅街にある小規模なスーパーの棚には空きが目立った

5月18日、政府はロックダウンの延長に入る一方、ニューデリーなど感染者が多い地区でも、感染が深刻なゾーンを除き規制を大幅に緩和した。バスや車での州をまたいだ移動も、双方の州政府の合意が得られた場合に限り許可された。ニューデリーでは、バスやタクシー、自家用車といった交通手段が部分的に再開した。

しかし、感染者は増加の一途だ。5月下旬の時点で日に5,000人以上のペースで増加。死者は5月27日時点で4,300人と中国の死者数と同規模となった。経済活動の再開で感染拡大のリスクは高まるものの、経済への打撃からこれ以上の封鎖の継続も難しい。経済活動の本格的な再開に向け、モディ首相はどのような道筋を描くのだろうか。

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