【アジア取材ノート】
名門サーブの自動車工場は今
中国企業傘下で復興狙う ──スウェーデン──
NEVS(旧サーブ)の工場はトロルヘッタン空港に隣接している
「サーブ」といえば、乗用車や小型プロペラ機で知られたスウェーデンの名門ブランドだが、現在は軍需以外は生産されていない。乗用車部門は2019年1月、中国不動産大手の中国恒大集団の傘下企業として再出発した。そんな旧サーブの自動車工場はどうなっているのだろうか。現地を訪問した。【取材・写真=NNA 東京編集部 遠藤堂太】
首都ストックホルムから小型プロペラ機で1時間。降り立ったトロルヘッタン空港に隣接するのはかつてのサーブの工場だ。現在は恒大傘下の「ナショナル・エレクトリック・ビークル・スウェーデン(NEVS)」が継承している。
車で5分。出迎えてくれたバイス・プレジデント(調達担当)のオラ・エイナルソン氏は「祖父はサーブの航空機製造に携わり、父は自動車製造。そして私は今、中国メーカーの従業員だ」と笑う。
祖父、父もサーブに勤めていたNEVSのオラ氏(左)とフレドリック氏
NEVS工場には部品の通い箱が放置されたまま(写真右端)
米国系から中国系へ
08年のリーマンショックによって、米フォード傘下だったボルボ・カー、米ゼネラル・モーターズ(GM)傘下だったサーブ・オートモービルの屋台骨は共に大きく揺らいだ。「この頃のスウェーデンの自動車産業は暴風雨が吹き荒れていた」と広報官のフレドリック・フライクルンド氏は振り返る。
サーブは11年春以降、資金繰りの悪化からサプライヤーへの未払いが原因で部品不足に陥り、生産を断続的に停止。スウェーデン政府はサーブを救済せず、サーブは同年12月に破産した。事業権は日本と中国の投資会社に渡され社名はNEVSとなった。一方、吉利汽車(ジーリー)傘下となったボルボは飛躍を遂げ、スウェーデンの名門2社は明暗を分けた。
NEVSは、19年1月に新たな出資者となった恒大の研究開発(R&D)と高級電気自動車(EV)生産拠点として再スタートを切った。恒大は6月、傘下の恒大健康産業集団(エバーグランド・ヘルス・インダストリー・グループ)が中国・天津工場を稼働し、自動車市場に参入。NEVSの技術が生かされているという。
トロルヘッタン工場では20年にも独新興企業ソノモーターズの太陽光EV「シオン」をOEM(相手先ブランドでの生産)する予定だが、現時点では、稼働していない。それでも、工場の維持には年間数億円はかかるという。
かつては3,000人以上が勤務していた工場は、「今ではわずか数百人」というが、閑散としていた。10人以上いるという中国人にも会えなかった。
トロルヘッタン駅まで、フレドリック氏の車で送ってもらう途中、サーブ・カー博物館に寄った。世界中のサーブファンが訪れる。来館していたウクライナ人男性は、「サーブの後継であるNEVSの車に早く乗ってみたい」と話した。
NEVSがスウェーデンのEVメーカーとして世界に名を馳せる日を心待ちにするファンがいる。
NEVS工場内の様子(同社提供)
1970年代に一時開発されていたEV=トロルヘッタンのサーブ博物館
サーブとボルボ
スウェーデン生まれのサーブとボルボは、独特の北欧デザインと共に安全性を重視したことでも知られる。
ボルボは片手で着脱できる三点式シートベルトを世界で初めて実用化したが、開発したボーリン氏はサーブから転籍したエンジニアだった。シートベルトは、サーブの軍用機製造の技術から生まれたものだ。
ボルボ×吉利のR&Dで沸騰、イエーテボリ
トロルヘッタンからスウェーデン第2の都市イエーテボリまでは、快速列車で40分。造船業が盛んだったこの町には、ボルボ本社もある。
自動車産業界でイエーテボリは今、車載システムや自動運転の開発拠点として注目を集めている。ボルボの親会社である吉利汽車は巨大なR&Dセンターを建設中。日系ではデンソー、三菱電機などの開発拠点もある。旺盛なオフィス需要を見込んだ建設ラッシュが続く。
(左)ボルボの本社(右)吉利汽車のR&D建設現場
自律走行システムを開発するゼニュイティを訪れた。スウェーデンの自動車安全システム大手オートリブの電子部品部門とボルボの自動運転部門が17年に分社化し合弁した企業で、従業員は約500人。既にドイツ、米国、中国に拠点を構える。
ゼニュイティのデニスCEO(右)は、従業員に気軽に声を掛ける。「就職先は米シリコンバレーの企業か迷ったけど、イエーテボリの仕事や生活には満足」と話すインド人女性
デニス・ノベリウス最高経営責任者(CEO)は、取材した前週は中国、翌週は日本出張と忙しい合間に取材に応じてくれた。
「自動運転の技術開発は1社や系列だけではできない。日本のメーカーは、われわれをパートナーとして活用してほしい」と述べ、日系企業との取引拡大に意欲を示す。