【アジアインタビュー】
変わるモッズ・ヘア、影に辣腕の中国人女性社長
日本には美容サロンが24万店あるとされ、世界的にも競争が激しい市場だ。中高級路線を徹底し、ファッションに敏感な若者に支持されているフランス・パリ発祥の美容サロン「モッズ・ヘア」も一時経営不振に苦しんだが、2016年に転機が訪れる。日本で同サロンを運営するエム・エイチ・グループ(東京都渋谷区)が中国資本に買収され、大手化粧品メーカー出身の在日中国人、朱峰玲子氏を経営陣に招き入れた。副社長を経て17年社長に就任した朱峰氏は、新宿や銀座、横浜など大都市の主要駅に構える店を改革してブランドへの信頼を再構築、1年で黒字化を実現させた。アジア展開も加速している。(文・写真=NNA東京編集部 江康慧)
エム・エイチ・グループの代表取締役兼執行役員社長を務める朱峰玲子氏=東京(NNA撮影)
店舗と社員の信頼回復に注力
フランス・パリで美容の修行をした日本人2人が1978年に日本に持ち帰ったことで始まったモッズ・ヘア。80年代のバブル期には高級美容サロンとして芸能人の御用達にもなるなど、市場を席巻した。
ところが経営不振に陥いると、2005年と15年に2度買収され、日中貿易や不動産事業を手掛ける中国系の投資会社が主要株主になった。エム・エイチ・グループの経営を託された朱峰氏は「買収後、ふたを開けてみると問題だらけだった」と16年当時を振り返る。
副社長の立場から、会社の問題点や改善点を1年かけて調査。翌年社長に就任後、大胆な改革に踏み切る。経営陣を一斉に入れ替えると、加盟店の相次ぐ閉店を食い止めるため、ブランド力回復に本腰を入れた。
「直営店が赤字なのに加盟店からロイヤルティーを頂くなんて恥ずかしい」――まず直営店の不採算店舗を整理し、加盟店に見本を見せる必要があった。
一時期は売上高に大きく貢献した新宿店だが、老朽化もあり客離れが始まっていた。朱峰氏は早速改装を決定。「赤字なのにさらに(改装のため)借金するなんてと言われ、株主の理解も得にくかった」。だが改装後の新宿店は売上高がぐっと伸びた。顧客の間で「モッズ・ヘアが変わった」という口コミが広がり、加盟店にも良い影響を及ぼした。
朱峰氏がもう一つ重視したのは、コミュニケーション強化による従業員からの信頼回復だ。直営店の従業員約140人を銀座の中華レストランに集めて懇親会を開いた。会社の方針や、何をすればよいかなどを従業員たちととことん話し合った。
長時間立ちっぱなしの仕事に慣れた従業員は「全員座って食事できたのは初めて」と喜んだ。売上額が予算を大きく上回った月には500円玉の金一封を配り、社員一丸となって乗り越えた。「わずか500円だが、ご縁(5円)が100倍という意味もある」「給料だけで解決できないこともある」と話す。
一方、加盟店の閉店を食い止めるため、本社の責任者が1店舗ずつ回って問題点と支援策を一緒に考えた。閉店した店もあったが、新規店舗もオープンさせ、全体の店舗数は維持できた。
社長就任当初、年6,000万円の最終赤字だったが、1年後の17年度には2,000万円の黒字に転じた。「日本ほど美容サロンが飽和している市場は世界でも珍しい。店舗数で競争しても勝てない。いかに高いサービスを提供するのかが重要」
中国市場の開拓は課題
海外の加盟店にも好影響が及び始めた。モッズ・ヘアは1995年に韓国、2001年に台湾と海外展開を始めた。韓国は一番好調で31店舗。大手ディスカウントストア「ホームプラス」に積極的に出店するなど、新規開店を加速している。台湾も一時落ち込んだが、今は4店舗となり、安定成長期に入った。
課題は中国だ。16年4月に北京市の一等地である三里屯に一号店を開店。成功を急ぐ中国の代理店は北京、上海、大連、長沙などと一気に8都市22店まで拡大したが、1年足らずで17店が閉店した。
失敗の理由の一つは「中国ではサービス精神が欠けていることだ」と朱峰氏は分析する。同じマニュアルがあっても店舗数が増えるほどサービスにバラつきが出てくる。採算が取れないと分かると、出資者はすぐ手を引いてしまう。
「主要株主の投資会社は、美容市場が拡大する中国での成功を見据えている」と話す。その一つとして、日本国内の店舗で使用しているモッズ・ヘアブランドのシャンプーやコンディショナーなどを越境の電子商取引(EC)を通じて中国市場に投入しファンを増やす。美容サロンとの相乗効果を図る狙いだ。このほか、一般の美容サロン関係者を年間300人ほど日本に招いて散髪のノウハウを教えるなど、業界全体の底上げにつなげる。
一方、東南アジアでは利益率の高い短髪がまだ少ないため、出店するのはまだ早いと考えているが、シャンプーなどの製品を輸出する可能性はあると言う。
「今こそ勝負の本番」
日本で辣腕(らつわん)ぶりを見せる朱峰氏だが、日本の大学を出たわけでもなければ、経営学を学んだこともない。
1958年、中国湖北省生まれで、文化大革命も経験。大学入試が再開した後、蘇州大学で紡織関連を学んだ。同大で知り合った夫の日本留学に伴って85年に来日。子ども2人を育てながら日本語を独学し、90年にIT会社に就職した。ITの知識も一から学び、講師として新入社員に教える立場にもなった。さらに上場に向けてITシステムの立て直しを行っていた大手化粧品メーカー、シーボンに42歳で転職。新しい管理システムを作り上げ上場を後押しした。朱峰氏は才能を評価され取締役に昇格、そのまま定年退職を迎えようとも考えたが、エム・エイチ・グループからの誘いを受けて「もう一度チャレンジしてみたい」と58歳で再就職した。「中国資本になったこともあり、放っておくわけにはいかない」と考えたと言う。
朱峰氏は日本湖北総商会の執行会長も務めている。故郷の魅力を伝えるため、2018年に同総商会会員から約1億円を集め、銀座の一等地で湖北料理の店「珞珈壹号」を開いた。
日本ではあまり知られていないが、湖北は地理的に中国のど真ん中に位置し、昔から東西南北の文化が融合した土地柄「食事や文化はいろんな地域と似て、かえって特徴がないといわれるが、各地の特徴を併せ持つことこそ湖北の個性」。朱峰氏も北部人の豪快さと南部人の繊細さを併せ持つ。
「企業を立て直すのは難しくない。本当に試されるのは黒字化した後、利益をどう拡大していくかだ」と気合を入れる。9月の株主総会後は3年ぶりに株主配当も行う予定だ。
エム・エイチ・グループ
資本金5億円。1990年に設立。美容サロン「モッズ・ヘア」の運営やヘアメイク、美容室支援などを行う。日本国内では64店、海外では韓国31店、台湾4店、中国6店を展開している(2019年6月末)。17年度(17年7月~18年6月)の売上高は約20億7,100万円だった。
日本には美容サロンが24万店あるとされ、世界的にも競争が激しい市場だ。中高級路線を徹底し、ファッションに敏感な若者に支持されているフランス・パリ発祥の美容サロン「モッズ・ヘア」も一時経営不振に苦しんだが、2016年に転機が訪れる。日本で同サロンを運営するエム・エイチ・グループ(東京都渋谷区)が中国資本に買収され、大手化粧品メーカー出身の在日中国人、朱峰玲子氏を経営陣に招き入れた。副社長を経て17年社長に就任した朱峰氏は、新宿や銀座、横浜など大都市の主要駅に構える店を改革してブランドへの信頼を再構築、1年で黒字化を実現させた。アジア展開も加速している。(文・写真=NNA東京編集部 江康慧)
エム・エイチ・グループの代表取締役兼執行役員社長を務める朱峰玲子氏=東京(NNA撮影)
店舗と社員の信頼回復に注力
フランス・パリで美容の修行をした日本人2人が1978年に日本に持ち帰ったことで始まったモッズ・ヘア。80年代のバブル期には高級美容サロンとして芸能人の御用達にもなるなど、市場を席巻した。
ところが経営不振に陥いると、2005年と15年に2度買収され、日中貿易や不動産事業を手掛ける中国系の投資会社が主要株主になった。エム・エイチ・グループの経営を託された朱峰氏は「買収後、ふたを開けてみると問題だらけだった」と16年当時を振り返る。
副社長の立場から、会社の問題点や改善点を1年かけて調査。翌年社長に就任後、大胆な改革に踏み切る。経営陣を一斉に入れ替えると、加盟店の相次ぐ閉店を食い止めるため、ブランド力回復に本腰を入れた。
「直営店が赤字なのに加盟店からロイヤルティーを頂くなんて恥ずかしい」――まず直営店の不採算店舗を整理し、加盟店に見本を見せる必要があった。
一時期は売上高に大きく貢献した新宿店だが、老朽化もあり客離れが始まっていた。朱峰氏は早速改装を決定。「赤字なのにさらに(改装のため)借金するなんてと言われ、株主の理解も得にくかった」。だが改装後の新宿店は売上高がぐっと伸びた。顧客の間で「モッズ・ヘアが変わった」という口コミが広がり、加盟店にも良い影響を及ぼした。
朱峰氏がもう一つ重視したのは、コミュニケーション強化による従業員からの信頼回復だ。直営店の従業員約140人を銀座の中華レストランに集めて懇親会を開いた。会社の方針や、何をすればよいかなどを従業員たちととことん話し合った。
長時間立ちっぱなしの仕事に慣れた従業員は「全員座って食事できたのは初めて」と喜んだ。売上額が予算を大きく上回った月には500円玉の金一封を配り、社員一丸となって乗り越えた。「わずか500円だが、ご縁(5円)が100倍という意味もある」「給料だけで解決できないこともある」と話す。
一方、加盟店の閉店を食い止めるため、本社の責任者が1店舗ずつ回って問題点と支援策を一緒に考えた。閉店した店もあったが、新規店舗もオープンさせ、全体の店舗数は維持できた。
社長就任当初、年6,000万円の最終赤字だったが、1年後の17年度には2,000万円の黒字に転じた。「日本ほど美容サロンが飽和している市場は世界でも珍しい。店舗数で競争しても勝てない。いかに高いサービスを提供するのかが重要」
中国市場の開拓は課題
海外の加盟店にも好影響が及び始めた。モッズ・ヘアは1995年に韓国、2001年に台湾と海外展開を始めた。韓国は一番好調で31店舗。大手ディスカウントストア「ホームプラス」に積極的に出店するなど、新規開店を加速している。台湾も一時落ち込んだが、今は4店舗となり、安定成長期に入った。
課題は中国だ。16年4月に北京市の一等地である三里屯に一号店を開店。成功を急ぐ中国の代理店は北京、上海、大連、長沙などと一気に8都市22店まで拡大したが、1年足らずで17店が閉店した。
失敗の理由の一つは「中国ではサービス精神が欠けていることだ」と朱峰氏は分析する。同じマニュアルがあっても店舗数が増えるほどサービスにバラつきが出てくる。採算が取れないと分かると、出資者はすぐ手を引いてしまう。
「主要株主の投資会社は、美容市場が拡大する中国での成功を見据えている」と話す。その一つとして、日本国内の店舗で使用しているモッズ・ヘアブランドのシャンプーやコンディショナーなどを越境の電子商取引(EC)を通じて中国市場に投入しファンを増やす。美容サロンとの相乗効果を図る狙いだ。このほか、一般の美容サロン関係者を年間300人ほど日本に招いて散髪のノウハウを教えるなど、業界全体の底上げにつなげる。
一方、東南アジアでは利益率の高い短髪がまだ少ないため、出店するのはまだ早いと考えているが、シャンプーなどの製品を輸出する可能性はあると言う。
「今こそ勝負の本番」
日本で辣腕(らつわん)ぶりを見せる朱峰氏だが、日本の大学を出たわけでもなければ、経営学を学んだこともない。
1958年、中国湖北省生まれで、文化大革命も経験。大学入試が再開した後、蘇州大学で紡織関連を学んだ。同大で知り合った夫の日本留学に伴って85年に来日。子ども2人を育てながら日本語を独学し、90年にIT会社に就職した。ITの知識も一から学び、講師として新入社員に教える立場にもなった。さらに上場に向けてITシステムの立て直しを行っていた大手化粧品メーカー、シーボンに42歳で転職。新しい管理システムを作り上げ上場を後押しした。朱峰氏は才能を評価され取締役に昇格、そのまま定年退職を迎えようとも考えたが、エム・エイチ・グループからの誘いを受けて「もう一度チャレンジしてみたい」と58歳で再就職した。「中国資本になったこともあり、放っておくわけにはいかない」と考えたと言う。
朱峰氏は日本湖北総商会の執行会長も務めている。故郷の魅力を伝えるため、2018年に同総商会会員から約1億円を集め、銀座の一等地で湖北料理の店「珞珈壹号」を開いた。
日本ではあまり知られていないが、湖北は地理的に中国のど真ん中に位置し、昔から東西南北の文化が融合した土地柄「食事や文化はいろんな地域と似て、かえって特徴がないといわれるが、各地の特徴を併せ持つことこそ湖北の個性」。朱峰氏も北部人の豪快さと南部人の繊細さを併せ持つ。
「企業を立て直すのは難しくない。本当に試されるのは黒字化した後、利益をどう拡大していくかだ」と気合を入れる。9月の株主総会後は3年ぶりに株主配当も行う予定だ。