NNAカンパサール

アジア経済を視る May, 2019, No.52

【NNAコラム】各国記者がつづるアジアの“今”

テイクオフ─神様・仏様編─

中国

おさい銭は現金なんだ――。広東省仏山にある道教の名刹(めいさつ)、祖廟をお参りしてふと気づいた。キャッシュレスが当たり前になった中国だが、さすがにさい銭箱の代わりに2次元コードを求める信者はいないらしい。

参拝者の中には、お金だけでなく花や果物を神前に置いていく人も少なくない。おさい銭を供えるという行為にはきっと、モノとしての貨幣を通じて、祈る気持ちを神様や仏様に直接手渡したいとの思いが込められている。いかに技術が発達しようと、この部分を電子化することは難しいだろう。

そんなことを考えながら廟を後にし、のどが渇いたので売店で水を買った。レジに張られた2次元コードは無視し、心を込めて手渡した100元札に顔をしかめる店主。投げるように戻されたしわくちゃの釣り銭からは、「迷惑な客が来やがった」という恨みがはっきりと伝わってきた。(羊)


香港

香港では旧正月になると、初詣のほか、太歳という神様を参拝する習慣がある。日本の厄年のように恐れられ、香港ではそれを「犯太歳(太歳を犯すこと)」と言う。犯太歳の人々は、その一年の無事を願いながら太歳の神様に参りに行く習慣「拝太歳(太歳を拝む)」がある。

そんな私も今年は犯太歳の一年。本当に助けてもらえるか分からないが、やらなかったことを後で後悔しないよう、最近行きつけの寺を訪れた。しかし参拝の人々の列が長すぎたため、その日は泣く泣く断念した。

気を取り直し、後日改めて行くと、旧正月がそろそろ終わるためか、行列はない。寺に入って職員に名前を告げると、小さめの赤い紙に名前を書くよう言われた。その紙を儀式進行の担当職員に渡し、「拝太歳」の儀式をしてもらった。正味5分ほどの短さ。これで効果あるかどうか、やはり分からなかった。(伊)


タイ

人にはそれぞれ、他人には理解できない「物への思い入れ」というものがある。学生時代に友人が集めていた色とりどりのペンや、高級ブランドの化粧品、好きなアーティストのライブグッズなど、「物質」に自分で何らかの意味を持たせてしまうことがある。

タイでは「仏陀(ぶっだ)のお守り」が最たるものだろう。タイ人は常に仏のそばに身を置きたいがために、仏陀や著名な僧侶の肖像をお守りとして首から提げていることが多い。そのお守りが古く、希少価値が高いほど、値はつり上がる。1個10万バーツ(約35万円)以上の物も珍しくない。原価はおそらく100バーツもしないはずなのにだ。

こうしたお守りを集めるのは、買う側がそれにパワーがあると信じているからだが、そればかりは証明のしようがない。結局、自分にとって価値があると信じられればそれで良いのだろう。(木)


ネパール

「生神さまに会いに行くといい」――そんなメッセージを受け取って、「ナマガミ?」と首をかしげてしまった。正しくは「生き神」と書くらしい。ネパール出張に行く前の父とのやり取りだ。

ネパールには「クマリ」と呼ばれる少女の生き神がいる。3歳ぐらいの子が選ばれ、初潮を迎えると引退して代替わりするそうだ。中庭を抱えた屋敷に閉じこもって生活し、お祈り客、というよりも外国人観光客が中庭に多く集まると、数十秒だけ窓から顔を出す。会えないことも多いそうだが、現地人ガイドの呼び掛けに応じてお顔を拝ませてくれた。

5歳ぐらいのかわいらしい子だった。外に出ることは許されず、世話係に監視されながら神様として少女時代を過ごす。人としての尊厳は許されない。窮屈な暮らしだなと、同情した。それでもネパール人の心の支えとして、いなくてはならない存在なのだろう。(天)

出版物

各種ログイン