NNAカンパサール

アジア経済を視る April, 2019, No.51

日本の投資待つ、ハンバントータ港開発

スリランカの「一帯一路」

約13億米ドル(約1,430億円)を投じて2010年11月に開業したスリランカ南部のハンバントータ港。巨額債務を払えず中国企業に権益を売り渡した「債務のわな」の代表例として国際社会が注視している。しかし、「中国の港」という先入観にとらわれない方が良さそうだ。アジアと欧州を結ぶ大型コンテナ船やタンカーが同港沖合10海里(約18.5キロ)先を1日約200隻往来する、インド洋の海上交通路(シーレーン)の要衝の開発は、日本企業にとってもいろいろな青写真が描けるからだ。(取材・写真=NNA東京編集部 遠藤堂太)


ハンバントータ港は、中国の現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」の象徴的な事業として知られるが、13年に打ち出された同構想よりも前に完成した。今はRORO船やバルク船が寄港する

ハンバントータ港は、中国の現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」の象徴的な事業として知られるが、13年に打ち出された同構想よりも前に完成した。今はRORO船やバルク船が寄港する

「よく晴れた日は沖合をゆくコンテナ船がはっきり見える」。滞在したホテルでスタッフが指をさす。白くかすんだもやの向こうに見えるはずの大型船を凝視しつつ、中国・明の武将、鄭和の船団が15世紀にスリランカのコッテ王朝を朝貢国としながら、アフリカまでも足跡を残した歴史に思いをはせる。

ハンバントータ港では豪華クルーズ船が停泊し、日本製中古車が並んでいた

ハンバントータ港では豪華クルーズ船が停泊し、日本製中古車が並んでいた

ハンバントータ港を見渡す場所に立つと、数千台の自動車が港湾に留め置かれていた。韓国・現代自動車がインド南部チェンナイで生産した自動車だ。インド東海岸の港湾のほとんどは喫水が浅く大型船の着岸ができない。このため、自走で積み込める小型RORO船でハンバントータまで輸送し、アフリカや欧州行きの大型RORO船に載せ換えている。年間7万台以上が輸入される日本製中古車も留置されていた。

最大都市コロンボから南へ250キロの位置にあるハンバントータ。13年には2億米ドル強を投じた空港も完成し、50平方キロメートル以上の工業・商業用地開発を見込む。空運と海運を組み合わせた物流業、造船所、ビーチとカジノの観光業の発展が期待されるが、現段階ではセメント工場が年内にも稼働する程度の動きしかみられない。

ハンバントータで投資誘致を行う担当者は、「最初に進出を決めた企業が、ビジネスの果実を得られる。遅れてやって来ても得られるものは少ない」と話し、日本企業の進出に期待を示す。ラジャパクサ前大統領も全く同じことを語る。社交辞令ではなく、「ハンバントータ=中国」というイメージを薄めたい本心がうかがえた。

「中国の軍事拠点化ありえない」

同担当者が強調していたのは、「中国国営の招商局集団グループが権益11億2,000万米ドルを得たのは、スリランカ港湾庁が運営権を持つハンバントータ国際港(HIPG)株の85%、(タグボートなどの)サービスを供与するハンバントータ国際港サービス(HIPS)株の58%」であること。あくまでも港湾運営であり、土地の取得ではない。後背地の工業・商業用地の投資に関してはスリランカ投資委員会(BOI)などがワンストップ・サービスで対応すると語った。さらに、「軍事目的での利用は契約上許されていない」と述べ、「中国の軍事拠点になる」という言説を否定する。

明るい雰囲気の街だが、2004年12月の大津波では犠牲者も出た

「ハンバントータ港の開発が進めば生活は良くなる」と期待を込める魚市場の商人

トヨタ自動車の物流事業関係者も視察に来たという。日本・東南アジア諸国連合(ASEAN)〜アフリカ・欧州といった完成車の長距離輸送の中継拠点としての可能性を模索していたようだ。このほか、日本製中古車を保税扱いでハンバントータ港に輸入し、右ハンドルを左ハンドルへ改造、あるいは修理の上で、アフリカや中東に再輸出する事業を検討する企業もある。

物流企業のスリランカ人幹部は、仮の話だが、と前置きした上で、「流通の米ウォルマートや中国アリババが、世界市場向けの配送拠点をハンバントータに開設したとしても、日本企業はハンバントータを嫌い、無視し続けるのか」と逆説的に問い掛ける。

人口約3万5,000人のハンバントータ地区には中国が建設した病院、韓国が建設した大型会議場、高級ホテルのシャングリラが点在する。町の幹部は、「中古車以外にも日本企業が存在感を示してほしい。まずは戦略的な立地に注目してほしい」と日本の投資に期待する。

圧巻のコロンボ都市開発

スリランカ発展の胎動を最も感じるのは、ハンバントータ港よりも、高層ビル建設などの大型不動産開発ラッシュに沸く最大都市コロンボだろう。

高僧と談笑するラジャパクサ前・大統領。18年末には一時、首相の座に就いた=コロンボの寺院

高僧と談笑するラジャパクサ前・大統領。18年末には一時、首相の座に就いた=コロンボの寺院

不動産開発の中でも圧巻なのは、中国企業主導でコロンボ港の隣接エリア200ヘクタール以上を埋め立てる「コロンボ国際金融シティー(CIFC)」だ。シンガポールやドバイのような金融都市を目指すという。CIFCは外国直接投資(FDI)による合弁事業で、事業費がスリランカの借款になることはない。建設はハンバントータ港と同じ中国国営の中国交通建設集団(CCCC)が手掛けている。

コロンボ港に隣接した中国主導CIFCの工事現場

スカイラインがどんどん変わるコロンボの街並み。2つのビルが寄りかかっているのはインド資本で、シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズ(MBS)を手掛けた建築家モシェ・サフディ氏が設計。TV塔は中国資本のロータスタワー

「相手は中国しかなかった」

平和なイメージのあるスリランカだが、多数派シンハリ人(仏教徒)と少数派タミル人(ヒンズー教徒)の26年間に及ぶ内戦が終結したのは09年と最近だ。05〜15年に大統領を務めたラジャパクサ氏が任期中に推進した大型事業がハンバントータ港、次いでコロンボの開発だった。3選を目指した15年1月の大統領選では、中国依存のインフラ開発を批判したシリセナ氏に敗北。シリセナ氏が大統領に就任し、コロンボ開発やハンバントータへの鉄道・高速道路工事は1?2年中断したが、結局再開した。もはや後戻りはできなかったのだろう。

NNAとの会見に応じたラジャパクサ氏は、「どの国ともパートナーを組みたい。ただ、手を挙げた国が中国だけだったのだ」と語った。その上で、「自分が政権を継続していれば、ハンバントータへの鉄道や高速道路は開通しており、港の事業収益性が高まっていたはずだ。国有財産である港湾を中国に売却する必要はなかった」と持論を展開した。

中国の投資が進んでいることについて、あるスリランカ人のビジネスマンは、「反発はない。むしろ日本は信頼できる自動車や電子製品を誇り、資金も豊富なのに、どうしてASEANのようなビジネスをスリランカでも展開しないのか」と不思議がる。日本は商機を逸しつつあるのかもしれない。

日本式「5S」、学校でも普及

スリランカでは日本式の「カイゼン」や「5S」運動が盛んだ。北東部トリンコマリー県ムトゥールの学校(写真)では、校舎の柱に「整理・整頓・清掃・清潔・しつけ」がアルファベットで書かれていた。

国際協力機構(JICA)によると、2005年から3年間、「学校運営改善プロジェクト」が実施され、もともと産業界で普及していた5Sを教育現場にも普及させた。JICAの協力終了後は、各県などに置かれた「教育カイゼン活動委員会」は解散したが、教育委員会の活動の一部として残っているところもある。一部の学校でも、カイゼン活動が続けられているのだという。


民族融合の縫製工場、インド企業

インド南部タミルナド州に本社を置く縫製のジェイ・ジェイ・ミルのトリンコマリー工場を訪問した。同社はスリランカでは6工場を構えるほか、バングラデシュ、エチオピアにも進出。英流通大手テスコ向けなどにベビー・ウエアを生産している。

工場は音楽が流れにぎやかだ。シンハリ語、タミル語のスリランカ音楽に加え、インドの音楽も流れる。内戦が激しかったトリンコマリーには内戦終結翌年の10年に進出。シンハリ人、タミル人、そしてヒジャブをかぶるイスラム教徒の3民族が一緒に働いている。

ビジャイ・ビドヤーシ・マネジャー(写真)によると、スリランカの工場から7人を指導員としてエチオピアに派遣している。手順を踏んで物事を進めるスリランカ人のスタイルが、指導員として適しているからだ。「インド人が指導すると、作業がぐちゃぐちゃになる」とインド人のビジャイ氏は笑う。スリランカ人は仕事と家庭のワーク・ライフ・バランスを大事にしており、これを尊重したいと話す。

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