【NNAコラム】各国記者がつづるアジアの“今”
テイクオフ─言葉、ことば、コトバ編─
台湾
鼻にかかった甘い声を出す女性に出会うと、頭の中で警報機が鳴り始める。実生活でそんな声を出すわけがない。声色を使い分ける演技派に違いない。そう思っていたが、台湾に来て驚いた。普段から甘ったるい声を出す女性が本当にいるのだ。
声調言語の中国語はもともとリズミカルでメロディアス。しかも台湾化した北京語は、時にうるさく聞こえる巻き舌も反り舌もない上、語尾にヨ~だのオ~だのをつけるため、若い女性が話すとどこか舌足らずで甘く聞こえる。
先日、健康診断の一環で、大腸内視鏡検査を受けた病院の看護師もその典型で、舌足らずの中国語に加え、時たま素で「おちゅうしゃ、いたくないでちゅか」的な日本語を混ぜてくる。ここまで来ると、もはや病院を超えた何かのよう。萌え萌えメディカルツアーと銘打って、日本の一部層向けに売り込むことができそうである。(蔵)
インド
外国人女性が話す少しおぼつかない日本語は、かわいい。本人たちは、そんな風に思われたくない、もっと流ちょうにしゃべりたい――そう思っているに違いないが、長く暮らした中華圏でそんな日本語を耳にするたびに、きゅんとしていた。
「中国語をしゃべるとき、ぶりっ子してない?」と、そういえば私も指摘されたことがあった。優しく接してもらうために柔らかい口調を心掛けているので、計算していないといえばウソになる。私の中国語にときめいてくれた中国人男性も、もしかするといただろうか。
インドに来てからはそんな経験をすることがなかったが、グルガオンの韓国系スーパーで、その瞬間はふいにやってきた。インド人の男性店員が葉もの野菜を指さして言ったのだ。「コマチュナ」と。ずるいよ。おかげで買うつもりではなかった小松菜を、かごに入れてしまったではないか。(天)
インドネシア
インドネシアで生活すると、「言葉は国の手形」ということわざをよく思い出す。なまりまでは分からずとも、ジャカルタでもたまにスンダ語やジャワ語と思われる言葉を耳にする。
同郷のよしみなのか、お国が同じだと何かと得をする。東西に伸びるフローレス島は、長野県ほどの広さの島の中で6言語以上が話されているという。島中央部の出身でエンデ語を話す運転手と島の西端まで行った際、給油のためにある民家に立ち寄った。その家の親子の会話を聞いた運転手が「お、坊主もエンデ語を話すのか」と話し始めたと思ったら、いつの間にかガソリン代をまけてもらっていた。観光地の受付人と運転手が同郷だと入場料をまけてくれることも多い。
ただよく見ていると、どうも言葉だけではない。どの人も言葉の前に自然な笑顔がある。結局大事なのはこれなのかもしれない。(幸)
マレーシア
マレー系マレーシア人の知人が「娘だ」と紹介してくれたが、東洋系の顔立ちに少し戸惑った。娘は機転を利かせ、「母が華人系マレーシア人なのよ」と教えてくれた。ほぼ単一民族で構成される日本で育つと、この国の多様性と寛容な社会は新鮮に映る。
娘は、華人系マレーシア人の夫とは英語で話し、父とのやりとりはマレー語に切り替わる。が、皆がバイリンガルなので問題はない。この輪に娘の妹がオーストラリア人の夫、子どもとともに加わると、知人は孫との会話が英語になる。
海外に出ると言語の障壁が高い日本人にとって、ため息の出るような光景だが、ここでは日常だ。ただ、長女の夫に名前を聞かれ、漢字を指で宙に書いてみせると、「brightという意味だね」と言い当てた。そうか。文字とはいえ、こちらでは華人系マレーシア人とつながりの深い言語になる。(丑)
シンガポール
2月19日は通常よりも満月が14%大きくなる「スーパームーン」が世界各地で観測された。シンガポールでは夕方から雲行きが怪しくなったが、日が暮れると雲も晴れた。高層ビルが多いため、ただ晴れているだけでは月が見えないのだが、帰り道の途中、開けた場所で真っ白に輝くスーパームーンが顔を見せてくれた。
「月がきれいですね」――。隣を歩く友人からふいに声を掛けられ、どぎまぎする。夏目漱石は日本語のこのフレーズを「アイラブユー」の日本語訳に使ったという。
日本語ネーティブではない友人に、「それって『愛してる』って意味になるんだよ」と伝えると、とたんに「なぜそうなるんだ?」と詰め寄ってきた。慌てて背景を説明したが、訳が分からないといった様子。せっかくのロマンチックな雰囲気は吹き飛んでしまった。まあ、きれいな満月を見られたのでよしとしよう。(薩)