「東西」の本から「亜州」を読み解く
アジアの本棚
『中国経済講義
─統計の信頼性から成長のゆくえまで』
梶谷懐 著
中国経済の腰の据わった概説書
いまさらながらではあるが、中国経済は大きく、奥が深く、多様だ。若いハイテク企業の活況や電子決済の急速な浸透が一方にあるかと思えば、負債で身動きが取れなくなっている国有企業も、空室だらけのマンション群もある。都市部の猛烈な消費の勢いと、なお貧しい農村の生活が併存し、よく見ればその中にもまた格差がある。しかも、それらの風景もちょっと目を離すと猛スピードで変わって行き、もてはやされた企業や人物があっという間に凋落し、また新たなスターが現れる。
こうした複雑で多面的な経済を相手にする場合、なにより重要なのは「誠実さ」ではないかと考えている。「要するに中国というのは~」とか「ちょっと前はこうだったはずだ」といった不遜(怠惰といってもいい)な態度では、現実の壁に弾き飛ばされる。面倒がらずに丹念に観察を続け、こつこつとデ―タを積みあげていないと説得力は生まれてこない。
不確実性をネガティブに捉えがちな日本
本書は40代の研究者が書いた中国経済の概説書だが、分析のスタイルはまさに「誠実」だ。経済統計の信頼性、不動産バブル、収入格差、共産党の統治と経済成長といった関心の高いテーマを大量のデータを引用しながら丹念に解説しているが、「実態を調べていけば『リスク』として理解できる現象でも、知識や情報が錯綜しているので『不確実性』として捉えてしまいがちだ」というのが基本姿勢。日本では「中国脅威論」の裏返しで、「中国経済の不確実性をネガティブに評価する傾向が強い」と耳の痛い指摘もしている。
格差問題を扱った章では、貧富の格差を示すジニ係数が2008年をピークにやや縮小に向かっていることを示し「中国では格差は拡大の一方」とする日本での一般的イメージを修正してみせている。背景には農家所得の上昇や、都市部での非熟練労働者の減少、つまり「買い手市場だった労働市場の変化」が反映していることも指摘している。
このほか、IT産業最前線の深センでは、知的財産権を無視したコピー産業の拡大が「パクリとイノベーションの共存」「ものづくりに関する先進的な取り組み」を産んだ面も否定できず、それが結果的に「米IT企業の製品市場拡大に寄与してきた」という逆転的な見方も提示している。トランプ政権は中国の知的財産権侵害を力で抑え込もうとしているが、筆者はむしろ、ハイテク領域での超大国同士の「意地の張り合いによって、日本企業も関与する形で形成されてきたイノベーションのエコシステムが破壊される」ことに懸念を示す。
オタクが日中新時代を担う!?
最終章の日中経済関係の展望も示唆に富んでいる。筆者は、今後の日中経済関係の一翼を担うのは、今までの日中関係を主導してきた層とは全く異なり、「わくわくする場所だから中国に引き寄せられている」ような「個人がお互いの能力を認め合う」オタク的マインドを持った人々ではないか、と提起しているが、深センに関心を持つ若いイノベーターたちは勇気づけられるだろう。筆者は「表面に流されない、腰の据わった中国経済の概説書」を目指したとしているが、その狙いは十分成功している。
『中国経済講義─統計の信頼性から成長のゆくえまで』
- 梶谷懐 著 中央公論新社
- 2018年9月発行 880円+税
【本の選者】岩瀬 彰
NNA代表取締役社長。1955年東京生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業後、共同通信社に入社。香港支局、中国総局、アジア室編集長などを経て2015年より現職