【アジアで会う】
台湾から日本へ 女流囲碁界のトップを走る
謝依旻さん
台湾
シェイ・イミン 1989年、台湾苗栗県生まれ。5歳の時に兄が通っていた囲碁教室で囲碁を始め、才能を見い出される。12歳で来日して日本棋院の院生となり、14歳の時に女性で史上4人目となる一般採用試験でのプロ入りを果たす。名誉女流本因坊、名誉女流棋聖、名誉女流名人の称号を保持。獲得したタイトル数は女流史上最多の27。宝塚歌劇団の大ファンでもある。
臆せずに攻めて、劣勢から逆転をもぎ取る戦闘的な棋風で知られる。しかし自己紹介とともに謝さんが取り出したのは、ショッキングピンクの名刺。施されたファンシーなイラストからは、かわいらしい一面も伝わってくる。
台湾代表の天才少女として、7歳から韓国の試合に出場していた。その頃から、母が用意した名刺を大人たちに配っていたという。落ち着いた物腰は、幼い頃から幅広い年代と接してきたせいだろう。
その一方、「子どもの頃から負けず嫌いで、かつ夢見がちだった」。幼くして囲碁雑誌で見つけた、最も格が高い棋士の称号「本因坊」の字面に引かれ、「将来は女流本因坊になる」と決めていた。「大きくなったら、とにかく一番になる」ことを夢見ていたという。
父の期待を背負って
小学校の時に、父親のアドバイスを受けて囲碁に集中するため転校する。全校生徒が22人しかいない森の中の小学校だった。大会があり月の半分は海外にいたため、学校の出席の融通が利くようにと父親が校長に相談。校長は「テストで必ず及第点を取る」を条件に特別に入学させてくれた。学習塾を開いていた父親は、テストの点数が下がることと、囲碁で負けることを絶対に許さなかった。
台湾で試合が開かれるのは、台北市や台中市などの都市部。父親に毎回車で長時間かけて送迎され、負けた試合の後は車の中で説教される日が続いた。負けて一番悔しいのは自分なのに、「傷口に塩どころか、いろいろなものを塗られた」と謝さんは苦笑しながら振り返る。
とはいえ幼いながらに、父親が自分のために苦労していることは分かっていた。海外遠征の資金を集め、あちらこちらの企業に後援を要請。自分がコレクションした絵画も売って娘に囲碁を打たせていた。周囲からは期待が寄せられるだけでなく、父娘の必死さをあざ笑う声も聞こえてきた。「絶対に負けられない」。碁石を握る手は小さかったが、背負っているものは大きかった。
日本で最年少記録更新
12歳で日本棋院の院生となり、台湾での普通の中学校生活を捨てて活動の拠点を日本に移す。囲碁を極めるなら日本で、という思いは幼少期から抱いていたが、まったく先が見えない状態での挑戦だった。
日本語は日本棋院所属の先輩棋士が主宰する研究会で学んだ。最初に覚えた単語は「分かる」。同じ研究会の棋士に「分かる?」と目を見ながら尋ねられ、直感で意味を理解したという。
幸いなことに、日本の文化や習慣にはすぐなじんだ。もともと和食も好物で「慣れないのは正座くらいだった」という。14歳の時に、院生になってから3度目の試験で入段しプロの世界へ。一般採用試験における女流棋士の最年少記録で、これはいまだ破られていない。
入段後は快進撃が続く。2006年に第8期女流最強戦で優勝し、17歳1カ月という女流棋士史上最年少でタイトル獲得を記録する。しかし当日は研究会の仲間たちにも結果を告げず、1人トレーニングジムに行き体を鍛えていた。後日「知らせてくれたら祝ったのに」と言われるまで、「報告する必要に気づかなかった」と笑う。
07年には、幼い頃の夢だった女流本因坊のタイトルを獲得。さらに08年に女流名人位を、10年に女流棋聖位のタイトルをそれぞれ獲得し、女流史上で初の3冠独占を果たす。3タイトルをそれぞれしばらく連覇し続けたことから、11年には名誉女流本因坊、12年には名誉女流名人、17年には名誉女流棋聖の称号も授与された。28歳になった今も女流本因坊位を保持し続けている。
将来は世界の子どもに囲碁を普及
台湾人ながら日本女流囲碁界のトップを走り続けたことで、日本と台湾のメディアから取材を受ける機会も増えた。中でも、13年に毎日放送(MBS)のドキュメンタリー番組「情熱大陸」に出演した反響は大きかったという。「もともとドキュメンタリーを見るのが好き。他人の人生をのぞくようで面白い。取材対象になったのは、自分も面白い人生を送ってきたからかも」と屈託なく話す。
囲碁を始めて22年。つらかった出来事は数えるときりがないが「それでも囲碁は魅力的」だと言う。ダンスやスポーツ、観劇など多趣味な一面を持つが、将来やりたいことは、やはり「世界での囲碁の普及」。台湾では教育の一環として、小さい頃から囲碁を学ばせる家庭も多いが、「世界中の子どもたちに、もっと囲碁に触れる機会を増やしてあげたい」と語る。
先日、女流立葵杯の挑戦者決定戦に勝利し、6月中旬に藤沢里菜・女流立葵杯との三番勝負に挑む。囲碁普及に先んじて、道を作る作業の真っ最中だ。(文・写真=NNA東京編集部 岡崎裕美)