NNAカンパサール

アジア経済を視る May, 2018, No.40

【アジアインタビュー】

ミステリー作家 陳浩基
「『13・67』をきっかけに香港に興味をもってくれたらうれしい」

香港

香港警察の名コンビの活躍を描いたミステリー小説『13・67』(いちさん ろくなな)が、昨年秋の日本発売以降、異例のヒットとなっている。タイトルの数字が2013年と1967年を指している通り、物語は2013年の香港から始まる。主役のクワンは、香港警察時代、卓越した推理能力で名声を轟かせた元刑事。しかし末期がんに侵され、今は病院で昏睡状態にある。愛弟子のロー警部は、特殊な機器でクワンの脳波にアプローチし、とある殺人事件の真相に迫っていくのだが…。

こんな刺激的な場面からスタートする物語は、難事件解決を軸に、6つのストーリーをつなぎ合わせながら1967年まで時代をさかのぼっていく。本格的な推理小説でありながら、激動の香港現代史を巧みに融合させた「社会派ミステリー」として高い評価を獲得し、「週刊文春ミステリーベスト10」と「本格ミステリ・ベスト10」の海外編で1位に輝いた。

著者の陳浩基(ちん・こうき)は、香港出身の43歳。名門・香港中文大学でコンピューター・エンジニアリングを学び、ソフトエンジニアを経て作家デビューしたという経歴の持ち主だ。3月上旬、プロモーションのため来日した華文ミステリー界の新鋭に、創作秘話のほか、中華圏の出版事情や香港の現状について聞いた。(聞き手=NNAグローバルリサーチグループ 早川明輝)

1967年を境に香港社会は大きく変わった

――基本は警察小説でありつつも、香港の現代史をストーリーに織り込んでいる本作。物語は、民主化を要求した香港反政府デモ、いわゆる「雨傘革命」が起きた前年の2013年から始まります。そして、重症急性呼吸器症候群(SARS)が流行した03年、香港返還の1997年、天安門事件が起きた89年、汚職捜査機関に対する警官デモが発生した77年と時代をさかのぼり、物語を締めくくる67年は、中国で文化大革命が起こった翌年です。香港では、文化大革命に触発された市民が、イギリスの植民支配に反対する大規模デモ、いわゆる「左派反英暴動」を起こした年として知られていますが、起点を67年に設定した理由は?

67年当時の香港社会はさまざまに分断されており、市民によるデモやストライキが頻繁に起きていた時代です。作品の冒頭に「香港警察はイギリス女王陛下の犬」という一文を書いたのですが、香港警察が左派反英暴動の鎮圧に努めたことから、エリザベス2世女王から「ロイヤル(皇家)」の名が授けられ、皇家香港警察(ロイヤルホンコンポリス)が誕生したのも67年です。そういったことを含め、67年は香港の歴史上とても重要で、この年を境に社会が大きく変わったというのが私の認識です。

――お生まれは75年ですが、昔の香港の描写がとてもリアルです。どのようにして書かれたのでしょうか?

新聞、公的資料、本や写真のほかに、60年代に多くの映画が製作されたので、それらも参考にして当時の様子を再現しました。新聞を読み比べて、違う角度から調べることもしました。『13・67』はフィクションなので、実際の事件だけではなく架空のプロットも加えています。

――例えば第6話の爆弾テロは架空のプロットですね

そうです。でも、67年当時ならありえる出来事です。一方、同じく第6話で爆弾の爆発で幼い兄弟姉妹が死んでしまうのは本当の事件です。フィクションでは事実と架空の出来事を融合し、話を作ることができます。そうやって書くスタイルが私は好きですね。

香港で書いた小説だが、香港では未出版

――『13・67』日本語版の発売は2017年秋ですが、オリジナルの初版は14年です。当時、香港読者の反応はいかがでしたか?

実は『13・67』は香港では出版されていません。というのも、この本の版元は台湾の出版社なんですが、台湾も香港も繁体字なので、翻訳する必要がないんです。台湾から輸入して、そのまま店頭に並べるだけで済んでしまうので。そういったこともあり、香港の地元出版社はどんどん縮小し、書籍のほとんどが台湾からの輸入品というのが現状です。香港が題材の小説を香港で書いて、台湾で出版して、輸入してやっと香港人が読めるのはおかしな話ですよね(苦笑)。香港人は読書量も少なく、ある調査によると台湾では本を月平均1.7冊読むのに対し、香港では6カ月で平均1.7冊という少なさです。

――台湾と香港の出版業界はどんな関係ですか?

台湾で出版した本は香港で簡単に販売できます。一方、逆は難しく、香港の作家は台湾で出版するのが一般的です。香港では本は1,000冊売れればいい数字なんですが、作家はそれではとても生活できません。

――中国本土の出版、とくにミステリー業界の状況は?

まず、人口が13.7億人なので読者数が圧倒的に多いですし、ミステリー小説も人気です。以前、とある編集者が「ミステリー系の電子雑誌の売れ行きが悪い。たったの2万部だ」と嘆いているのを聞き驚きました。私からすれば「2万部も」という感覚です(笑)。

『13・67』に関していえば、中国の出版社から出版したいという話はあったのですが、ご存知のように中国では出版前に検閲があります。出版社で検討が重ねられた結果、内容にデリケートな部分があるということで、最終的に出版は見送られました。でも、私個人はそれで良かったと思います。私の本のせいで、編集者がトラブルに巻き込まれてしまうのは避けたいですから。

――香港の映画監督、ウォン・カーウァイ氏が『13・67』の映画化の権利を獲得しました

彼の映画は好きなので、どんな作品になるかとても楽しみです。日本や海外の友達が香港に遊びに来ると、カーウァイ監督の『恋する惑星』の撮影地である、ヒルサイドエスカレーターや、重慶大厦(チョンキンマンション)を僕のガイドで案内してあげることもあるんですよ(笑)。

――カーウァイ監督の映画には、香港の隠れた名所が数多く出てきますが、『13・67』にもさまざまな実在の場所が登場します

香港には歴史を知った上で訪れると、より楽しめる場所がたくさんあります。例えば、第2話に出てくる女性アイドルの唐穎(とうえい)が何者かに襲われる埋立地は、第6話で出てくるジョーダン・ロード埠頭がかつてあった場所です。というのも、50年前は海底トンネルがなく、九龍から香港島に行くには埠頭からフェリーに乗らなければならなかったんです。こんな風に、『13・67』をきっかけに読者が香港に興味を持ち、実際に訪れてもらえたらうれしいです。

多くのあつれきを生んでいるのが今の香港

――名門として知られる香港中文大学でコンピューター・エンジニアリングを専攻し、卒業後はソフトエンジニアとしてサラリーマン生活を送っていたそうですね。その経験が、作家活動で役立っていると感じる部分は?

ソフトウエアの研究・開発では、プログラムを書くコーディングの前にプランニングを綿密に行いますが、それはミステリーを書く作業と似ています。『13・67』は6つのパートにつながりがある構成にしましたが、スケール感や全体像を考えつつ、登場人物は何人くらいか、どんなキャラクターにするかなど、全てのプランニングを執筆前に行いました。ただ、100人を超える人物が出てくるなんて、書き終わるまで自分でも気付きませんでした(笑)。

――本作の続編やスピンオフの可能性は?

プロットはすでにあります。将来的には書くと思いますが、ほかにも書きたいものがたくさんあるので時期はまだ分かりません。クワンが1970年代に英国の警察で訓練を受けた際の出来事など、ストーリーの間に「余白」があるので、いろいろと書けると思います。

――『13・67』の第1話の登場人物である阮文彬(げん・ぶんひん)は無一文から大企業のトップにのしあがった、いわゆる「香港ドリーム」の体現者です。今の香港でもこのような夢の実現は可能なのでしょうか?

ないと思います。NNAの香港事務所は1998年にコーズウェーベイ(銅鑼湾)からノースポイント(北角)に引越ししたとのことですが、それは地価や賃料が高騰しているからですよね。80年代の日本のバブル時代のようなことが、香港でも起こっていると感じます。

大学を出て、就職をして、結婚したら小さな共同住宅を買う、それが今の香港人が夢みる生活です。その小さな狭い住宅でさえも、30年間も働かないと手に入らない。東京だったら、土地が高ければ埼玉や千葉などの郊外に移ることができますが、香港は奥地でも地価が高く、転居は不可能です。

80年代以前は、努力次第で企業の最高経営責任者(CEO)になることもできましたが、今の香港では本当に難しい。大きな夢をみること自体がありえない、という雰囲気すら感じます。

――あなたにとって「香港」とは?

私もよく知人らと香港の価値について語るのですが、「自由であること」「民主主義であること」という意見が飛び交います。また、香港は伝統的に西洋と東洋の交差点として、どんなカルチャーも受け入れてきた過去があります。日本文化もその一つで、70年代には山口百恵、80年代にはマッチ(近藤真彦)や中森明菜などが流行しました。それらを踏まえ、香港は何かと問われると「スピリット」だと言えると思います。

でも、それは以前の話で今は違います。もし、他国の文化を受け入れようとすると、「なぜ自国の文化を愛さないのか」と批判されてしまう。それは本当に深刻な事態だと思います。自国を愛することと、他国の文化を愛することは、相反しないと私は考えます。他国の文化を拒絶すると多くのあつれきを生み出します。それが今の香港に起こっています。

――次回作の予定は?

2011年に出版した『気球人』という連作短編のミステリーホラーに4つのエピソードを加筆したものを出す予定で、現在執筆中です。17年夏に発表した『網内人』のキャラクターを登場させるシリーズ作も構想中です。

――将来的に書きたいテーマは?

これまでのように、さまざまなジャンルを書いていきたいです。例えば最近、台湾で出版した『山羊獰笑的刹那(ヤギの笑う、その刹那)』は青春ホラーなんですが、今後もひとつのジャンルに縛られることなく、たくさんのストーリーを書いていきたいです。

――読者にメッセージを

まず、本を読むことの素晴らしさを伝えたいです。そして、ミステリーはエンターテインメントを楽しみたいのであれば最適な作品だということを知ってもらいたいです。ミステリーに興味がなかったら、違うジャンルのフィクションを読んでみてください。現実性がないと感じたとしても、ストーリーには必ず何らかの意味があります。映画化されたミステリーも多いですし、映画を観て興味を持ったら、ほかの作品も読んでもらいたいですね。


『13・67』

  • 陳浩基 著/天野健太郎 翻訳
  • 文藝春秋 2017年9月発行 1850円+税
  • 陳浩基(ちん・こうき)

    1975年、香港生まれ。香港中文大学計算機学科卒。ソフトエンジニアとしてサラリーマン生活を送った後、作家に転身。2011年『遺忘・刑警』(邦題『世界を売った男』)で第2回島田荘司推理小説賞受賞。日本の映画や漫画などにも詳しい日本通。「マイベストミステリーは横溝正史先生の『獄門島』。高校生の時に読んだのですが、今でも最高傑作といえばこの作品。何度も読み返しています。漫画は最近、『彼方のアストラ』と『弟の夫』を楽しく読みました」

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