「東西」の本から「亜州」を読み解く
アジアの本棚
『China 2020』
20年前の世界が予測していた中国
1997年9月に香港で開かれた国際通貨基金(IMF)・世界銀行(世銀)年次総会は特別な意味を持っていた。香港はその年の7月、英国から中国に返還されたばかりであり、タイ・バーツ暴落で始まったアジア通貨危機の最中でもあった。香港での総会開催は、金融センターとしての香港への信任を示すとともに、投機的行為に負けないという国際社会の結束をアピールする意味も含んでいた。私は共同通信の香港支局員だったが、総会直前に流通大手ヤオハンの破たんが飛び込み、会期中もマレーシアのマハティール首相と米投資家ジョージ・ソロス氏が金融危機を巡って批判し合うなど見せ場も多く、取材に忙しかった。
『China 2020』は、この総会に合わせて公表された世銀の報告書で、20年以上先の2020年に中国はどうなっているかを大胆に予測して注目を集めた。当時中国は1989年の天安門事件の衝撃から次第に回復し、鄧小平氏の南巡講話以降、成長軌道に入り始めていたとはいえ、まだ経済規模は現在の10分の1。世界貿易機関(WTO)加盟も控えていたが、国際競争力の弱い国有企業の多くは生き残れないとの見方も強く、香港紙は「中国政府内では無理に加盟する必要はないとの意見も出ている」と報じていた。改革の先頭に立っていた朱鎔基副首相(当時)は厳しい立場にあったはずだ。
報告を再読すると、「2020年には中国は世界貿易で第2位の地位になっている」と予測、「中国が国際経済に組み込まれることは脅威ではなく、各国にも恩恵がある」と強調している。グローバル化しようとしていた中国への「応援」色が強く、見通しが楽観的過ぎるとの声もあった。一方で、貧富の格差や環境問題などいまも中国が抱える問題点の多くも指摘しており、市場経済化を怠れば先行きは明るくない、と警告も忘れていない。
実際にどうなったかはご存知の通りだ。中国は2001年にWTOに加盟。同じ年にゴードン・チャンの『やがて中国の崩壊がはじまる』(草思社)という本が出版されたが、中国は年平均10%の成長を続け、2010年には日本を追い抜いて世界2位の経済になった。現在では自動車市場の規模は日米合計を上回り、豊かになった中国人旅行者の消費は、日本はじめアジア各国に大きな恩恵をもたらしている。
中国には経済改革を貫徹するという継続的な意志があり、実際に行動に移した。問題点も多かったが、国全体の経済を底上げし、高度成長を実現させたことは誰も否定できないだろう。だが、現在の中国経済は格段に大きく複雑になっている。国際的存在感や国民の生活水準は向上したが、格差や環境問題に加え、高齢化、労働人口減少も現実的な問題として浮上している。投資主導から消費主導経済への質的転換も着実に進める必要があるが、各方面で政府の介入が強まりそうな予兆も出ている。いま中国の20年後を見通すのは、20年前よりはるかに難しくなっている。(『China 2020』は世銀公式サイトで現在も見ることができる)。
『China 2020』
- ヴィクラム・ネルー、アート・クラーイ、ユー・チャオチン
- 世界銀行
- 1997年9月発行
1997年の国際通貨基金・世界銀行年次総会に合わせて公表された、世界銀行の報告書。正式な書名は『China 2020:Development Challenges in the New Century』。全161ページで、英語版と中国語版が発行された。現在、世界銀行の東アジア・大洋州地域担当チーフ・エコノミストを務めるヴィクラム・ネルーらが執筆した。世界銀行のウェブサイト(http://www.worldbank.org)より全文のPDFファイルがダウンロード可能。
【本の選者】岩瀬 彰
NNA代表取締役社長。1955年東京生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業後、共同通信社に入社。香港支局、中国総局、アジア室編集長などを経て2015年よりNNA社長