カンパサール

NNAがこれまで培ってきた現地密着の取材力を生かし、アジアの今を消費市場の観点から追いかける季刊の無料ビジネス媒体

NEXTアジア PART2 北朝鮮

日系企業にとって有望な消費市場はどこなのか。まだ知られざる国々に目を向けた特集第2弾。アジアの限界にまで視野を広げて今回も5カ国を選定。現地取材も行った。 未来的な国、スリルに満ちた国、クセ者ぞろいの市場に迫る。

現地ルポ番外編 近くて遠い国でスマホ買ってみた

「さらに先にあるアジア」の可能性を探るため、カンパサールでは2号にわたる特集で知られざる国々を紹介してきた。しかし、日本のすぐ近くには、最も遠いと言えるかもしれない国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が存在した。日本人として初めて北朝鮮でスマホを購入したという通信業界専門ライターに、番外編としてリポートしてもらった。

【プロフィール】
田村和輝(たむら・かずてる)
フリーランスライター 1991年滋賀県生まれ、フリーランスで活動。アジアの携帯電話事情を中心として海外における通信業界の取材・現地調査・記事執筆を手掛ける。東アジアと東南アジアはすべての国と地域で現地調査を実施した。NNA倶楽部の会報『アジア通』でも寄稿文を連載中。

制裁の影響を感じさせない平壌の街

夜の平壌の街。派手にライトアップされた光景が印象的だ

北朝鮮は国際社会から経済制裁を受けている。しかし、平壌では高層住宅の建設が進み、スマホの利用者も増えている。平壌国際空港の新ターミナルは大型化し、地下鉄は新型車両を導入、タクシーの増加など交通インフラも発展した。遊園地は人々で賑わい、夜は高層住宅が派手にライトアップされるなど、華やかな一面が見られた。しかし、平壌とその他都市の格差は依然として大きく、格差縮小や地方の経済発展は課題とされている。

観光業を強化

平壌の中心部に位置し、非常に有名な「万寿台の丘」左が金日成像、右が金正日像

北朝鮮は観光業を強化しており、重要な外貨獲得手段の一つに位置付けている。日本人観光客は非常に少ないが、万寿台の丘など有名スポットなどでは外国人を見かける機会も多かった。特に中国人観光客はよく目にした。大型観光バスが来たと思えば、中国人の団体観光客がゾロゾロと降車し、レストランに入れば中国語が飛び交っていた。

通貨と為替レート

北朝鮮の通貨は「北朝鮮ウォン」だが、北東部の経済特区である羅先を除くと外国人は基本的に使えない。このため、現地での支払いは米ドルやユーロ、中国人民元、日本円を使うことになる。店側が十分に外貨を保有していない場合は、釣銭が支払い通貨と異なる通貨となることや、例外的に北朝鮮ウォンとなることもある。

為替レートは「市場レート」と「公定レート」が存在する。北朝鮮に投資するエジプトの通信事業者、オラスコムTMTは、北朝鮮事業の難しさの一つにこの二重レートを挙げている。同社の2016年第3四半期の決算報告書を参照すると、市場レートは1ユーロ=8,650北朝鮮ウォン、公定レートは1ユーロ=118北朝鮮ウォンと開きがある。一般的に外国人が利用する店では公定レートが適用される。

平壌高麗ホテルに提出されていたナレカードの案内

北朝鮮では電子決済カードも利用できる。平壌では貿易銀行が発行するナレカードが便利で、外貨で入金すると残高は公定レートを適用して北朝鮮ウォン建てで蓄積される。ナレカードで支払うと現金が不要だが、残高の不足分は現金で補えるため、計画的に使えば残高を使い切れる。


独自ブランドのスマホを求めて

アリランAS1201を手に高麗航空の機体の前で記念写真

筆者が初めて北朝鮮を訪れたのは2013年12月だった。この年に、外国人による携帯電話の持ち込みが解禁されたほか、金正恩・朝鮮労働党委員長(当時は第一書記)による現地指導を受けた独自のスマホ「アリランAS1201」についての報道もあったからだ。

店舗でその実在を確認できた時は、興奮のあまり値段を聞くのも忘れ、即刻「購入する」と伝えてしまった。値段は、SIMカードとセットで約4万1,000北朝鮮ウォン、当時の公定レートで約4万1,000円だった。

このスマホは、随所に「北朝鮮」らしさが感じられた。新聞など北朝鮮の出版物では歴代指導者の名前を太字で表記する決まりがあり、スマホでも「金日成同志」などと朝鮮語で入力すると、自動的に太字で表示されるようになっていた。

市街地マップは脳内に

スマホとSIMカードの購入など、現地の通信事情を取材するために平壌の街を歩いたが、北朝鮮は国内の詳細な地図を入手するのが困難だ。筆者の場合、最初の訪朝時はインターネットで入手した市街地の大ざっぱなマップをスマホにインストールした上で、北朝鮮国内での行程を同伴する現地の「指導員」の案内と照らし合わせ、位置関係の把握に努めた。苦労の甲斐があってか、15年9月の2度目の訪朝では案内なしで市街地を歩き回ることができた。

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