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原辰徳監督 インタビュー&記念講演会
プロ野球・巨人の原辰徳監督が母校・東海大学同窓会香港華南支部の招きで香港を訪問し、講演会を開催。監督が考えるチーム運営の秘けつとは、契約が切れる来年以降は――。NNAの単独インタビューに応じた。
4連覇へ、実力至上主義で挑む:巨人・原辰徳監督に聞く
プロ野球・巨人の原辰徳監督(56)がこのほど、母校・東海大学同窓会香港華南支部の招きで香港を訪問し、NNAの単独インタビューに応じた。今年で監督の契約が切れる原監督。セ・リーグ4連覇に向けた意気込みや強いチームを率いる上での努力、自身の次のステップなどについて語った。
――香港の印象は。
前回はプライベートで返還前に来た。飲茶や朝がゆがおいしかったのを覚えている。当時は選手だったので、海沿いをランニングしていると、公園で鳥を鳴かして鳴き声を競っている人や太極拳をしている人がいた。
当時は飛行機がビルの合間をくぐり抜けるように下りてきたが、(今では)空港もきれいになった。街中では高層ビルやマンションが建ち並び、非常に動いている、活気のある街だなあと思う。
――野球人生におけるアジアとの関わりは。
アジア選手権に2回出場し、2回ともアジアのチャンピオンになった。たくさんアジアの国があるが、レベル的には韓国、台湾、日本の3つが少し抜けている気がする。
中国も非常に力を入れていて、うちのチームにも中国から練習生で2人ほど来たが、なかなか一軍で活躍するところまでいっていない。中国には米国からも日本からもいろいろなコーチが行って、非常に努力はしているが、少し伸び悩んでいる印象がある。
――今後力をつけそうなのは。
韓国にしても台湾にしても中国にしても、日本はかなりライバル視されている。だからわれわれも彼らと闘う時は全力で闘う。その中で雌雄を決するのはそのゲームの運というか、そういうものに左右されるくらい力は拮抗(きっこう)している。
チーム運営の秘けつ
――選手のモチベーションを維持するために努力していることは。
目的を明確にしておくことが大事。最も大切なことはチームが勝つこと。これを一番に置くことでチームプレーに徹したり、不平不満、あるいはわがままがなくなる。
私自身ではチームを作る上で一番大切に思っているのは実力至上主義。力のある人がレギュラーになり、あるいはベンチに入り、あるいは先発ローテーションに入る。そこをしっかり守りさえすればチームの和は保てる。
今年はいろんな意味で新しいチームに変わる。それぞれが良かったと思えるようなシーズンにしたい。
――新しいチームとは具体的に。
阿部慎之助選手は入団以来ずっとキャッチャーをやっていたが、一塁手にコンバートする。抑えも外国人を使っていたが、澤村拓一選手を予定している。キャプテンもそれまでは阿部選手だったが、坂本勇人という中堅の選手を起用する。そういう部分でも新しく変わった。
――今年の意気込みを。
まず4連覇を果たし、日本一を奪回したい。チームスローガンは「新成」。新しいチームに生まれ変わり、大願を成就するという意味だ。
契約満了へ、来年以降は
――野球人としてのゴールは。
小学校2年生の時にチームに入って初めてユニフォームを着た時、非常にうれしかった。56歳になったが、当時の気持ちに何ら変わりがないことを幸せだと思っている。
ユニフォームを脱いでのんびりした時に何かを感じるのかもしれないが、今はよく分からない。野球の監督、コーチ、選手も含めて他動的。自分でやりたいからやれるわけではなく、まだ自分はできると思っても戦力外を宣告されることもある。毎年全力でユニフォームを着た喜びを感じながらやることの積み重ねで今日まできた。しかしユニフォームを脱いだら少しリラックスをして、それも楽しいのではないかという予測はできる。
――それ(ユニフォームを脱ぐ)がいつになるのか。
今年が契約の最終年。そこでどういう風な形になるかはよく分からない。今年1年、監督として全力でチームを守り、チームを勝利に導いていくことしか考えていない。
――監督の意向としてはユニフォームを着続けたいのか。
そこまで考えていない。なかなか先のことは分かりづらいし、もしかしたら心のどこかで今年1年頑張れば、来年は少し自由になれるかもしれないというのもエネルギーになっているかもしれない。来年もまたユニフォームを着ようという気持ちがもし芽生えたり、あるいはそういう気持ちがどこかにあるなら、それもエネルギーに変わるだろうし、こうしようああしようというのはあまり考えていない。
――ユニフォームを脱いだ時にどんなことをしたいか。
野球はもちろん切っても切れない部分はあるが、世界遺産巡りとか、あるいは文化・歴史の見聞を深めたりしたい。
――最後に、海外で頑張っている日本人のビジネスマンにメッセージを。
なかなかビジネスのことは分からないが、日本人の受けた教育や日本人の持っている精神はどこに行っても通用することだと思う。礼儀であったり、謙虚さであったり、あるいは想像力豊かな企画ができる点でも。そういうものを大いに伸ばしていってほしい。
われわれの小さいころは「ものづくり日本」という言葉があったが、今は消えつつある。海外でものづくりをする時代になってきている。しかしそこを動かしているリーダーの人たちはやはり日本人の方が多い。そういう意味でもどこかでリーダー意識を持ちつつ、謙虚に、そして日本人であることに誇りを持って世界に君臨してほしい。(聞き手・田村まどか、撮影・程田聡哉)
<取材後記>
過密なスケジュールの合間を縫って取材に応じてくれた原監督。約20分間のインタビュー中、注目される去就については明言を避けたものの、インタビュー後の講演会では、「いい形で、長島さん(長嶋茂雄元監督)が私にバトンを渡してくれたように、私もしっかり準備をした人間に対してバトンを渡すことも大きな役割の一つかなと思います」と話し、ユニフォームを脱ぐ可能性をほのかににおわせた。
<プロフィル>
原辰徳
1958年 神奈川県相模原市出身。東海大学付属相模高校時代、甲子園に春夏合わせて4度の出場を果たし注目を浴びる。大学進学後も、首都大学リーグで3度の最高殊勲選手、7度のベストナインを獲得するなど華々しい成績をあげ、1980年のプロ野球ドラフト会議において読売巨人軍から1位指名を受けて入団。長らく4番打者として活躍し、新人王、MVP、打点王、ベストナイン(5回)など数々のタイトルを獲得した。1995年に現役を引退するも、2002年より読売巨人軍監督として(2003、2006~現在に至る)指揮を執る。2014年までに通算でチームを7度のリーグ優勝、3度の日本一に導いている。また2009年のWBC第2回大会では監督として日本代表チームを大会2連覇に導いた。<香港>