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【祝】「The Daily NNA シンガポール版」2000号特集
《寄稿》シンガポール版 初代編集長 古川健士
初代編集長が語る「あの日、あの時」/直前、地下鉄サリン事件
1995年4月3日に創刊するシンガポールビジネスポスト(日刊NNAシンガポール版の前身)の編集長として当地に赴任する手続きのため、当時、香港にあった本社に初出社した同年3月20日、読売ファクス新聞の配信業務で提携していた読売新聞社から地下鉄サリン事件の一報が入り、入社・赴任の手続きもそこそこに香港の街へ飛び出し、読売ファクス新聞の号外を配り歩いた。
先輩社員に聞けば、その約2カ月前の1月17日にも同じような経験をしたばかりだという。
阪神・淡路大震災の号外である。
今であれば、アジア欧州の全日系企業を対象に、それこそ昼夜の別なく1時間おきにでも号外を配信し続けるべき大事件だが、当時のわが社にそのような力はなく、よそ様の号外をそれぞれ1回、香港限定で配らせていただいただけで終わった。無論、シンガポールではまだ事業を始めておらず、日本人の生命財産の安全にかかわる重要かつ緊急性の高い情報を、在留邦人の皆様にお届けするすべもなかった。
とはいえ、このときの経験が、その後のNNAの号外・速報サービスの出発点となり、そして今年、海外情報ライフライン『夕刊ニッポン』の発刊という形で結実、いま本社企画局で、その新商品拡販を指揮していることを思うと、入社初日の号外配りは、私自身がNNAで将来なすべきことを暗示していたかのようでもある。
西友がブギスへ。比メード死刑判決の波紋。
翌21日に生まれて初めて訪れたシンガポールの第一印象は「暑くてたまらん」。同じく生まれて初めて触ったマッキントッシュコンピューターと悪戦苦闘しつつ、先輩である部下や香港本社からの立ち上げ応援出張者に助けられて出した創刊号では、「西友のブギス出店に業界注目」「エプソン、シンガポールで直販」「比人メード死刑の波紋」などの記事をお届けした。
同日の為替レートは、1シンガポールドル=61.55円。STI指数の終値は2,074.65ポイント。前月(3月)のゴルフ会員権転売価格は一番人気のシンガポールアイランドカントリークラブ(SICC)が18万9,500シンガポールドル(ビジネスタイムズ調べ)。前年(94年)のシンガポールの経済成長率は11.5%。シンガポールはこの年、建国30周年――そんな時代背景のもと、当社のシンガポール事業は産声を上げた。
シンガポール編集長としては97年3月まで約2年間勤務。折しもシンガポール経済がアジア通貨危機前の「高度安定成長」をおう歌していた時期と重なりあっている。
在任中の主な出来事では、「シンガポールの途上国ステータス失効」(95年5月)「モバイルワンに第2の携帯電話事業免許」(95年5月)「外国人のCPF積み立て免除」(95年7月)「MRT東北線の敷設計画発表」(95年7月)「トニータン氏、副首相として政界復帰」(95年8月)「郵便番号6ケタに」(95年9月)「ベアリングズ崩壊の主役リーソン氏、送還・逮捕」(95年12月)「固定電話市場、2000年の前倒し開放決まる」(96年5月)「グループ選挙区で人民行動党が冷や汗勝利」(97年1月)などが印象深いが、通貨危機以降の激動期に比べれば、平穏な2年間だったといえる。
創刊の年から今日に至るまで継続してご契約いただいている企業は、現会員約600社のうち、27社に上る。
シンガポールにおける同業では最後発のNNAをここまで育てて下さったのは、在シンガポール日系企業の皆様であることに改めて思いを致し、初代編集長として心から御礼申し上げます。