切削、穴開け、曲げ、溶接、プレス、研磨、めっき、組み立て、設計──。ものづくりに関わるさまざまな技術力を持った製造業4,200社が集積する東京都大田区。現代のグローバル化したものづくり時代にあっても、その創意工夫と高い技術で、縁の下の力持ちとして存在感を示し続けている。今回は、切削工具の技術力で世界市場に挑む「栄工舎」を紹介する。
栄工舎の越智宏晃代表(NNA)
創業者の安部川栄氏(右、栄工舎提供)
2022年6月、創業5代目に就任した越智宏晃・代表取締役(43)は、海外での展示会に参加した際、驚いた。航空機に使用する部品は、特に精密性を求められるが「海外製品の誤差が意外と緩い」ためだった。改めて、日本のものづくりに関する技術力の高さを実感した。
製造業の熟練技術の中でも、金属の切削は技術力が競争力に直結している分野と言える。超精密な金属加工向け切削工具メーカー、栄工舎は技術力を持つ企業が集中する大田区蒲田の中でも「知られざる世界企業」だ。
栄工舎は1950(昭和25)年、神奈川県出身の安部川栄氏が大田区糀谷(現在の東蒲田)で創業したことに始まる。社名は創業者の名前「栄」に工業の「工」、「社」ではなく「舎」を付けた。創業前に一時経営していた切削工具の会社も蒲田にあった。新会社としての設立も、周囲に技術力のある製造業が多い蒲田にこだわった。
新会社は四畳半一間ほどの事務所。従業員も2人。工具メーカーだったが、実際は材料を購入し、製造を委託し納めるというブローカー(代理店)のような仕事だったという。
ドリル穴開け加工後にリーマで仕上げをすることで、より精度の高い状態に仕上げる(栄工舎提供)
切削工具とは金属やプラスチックを加工する道具で、素材を切ったり削り取ったりして成形する。自動車や航空機などの部品をはじめ、医療機器、建設機械、工作機械‥‥、あらゆる製品造りに欠かせない。
最も知られているのがドリルだがドリルメーカーは多く、後発の栄工舎は進出が難しい状況だった。そこで目を付けたのが、仕上げ加工をする工具「リーマ」だ。ドリルで穴を開けると微妙に穴が曲がっていたり、切断面ががさがさしたりと「完全な穴」にはならない。それらの穴を真ん丸にする「真円度」、切断面を奇麗にする「面粗度」、穴をまっすぐにする「直進度」を補正することができる。手がける会社も少なかったリーマを製造することで事業を伸ばしていった。
新潟工場(栄工舎提供)
64年に株式会社化したものの、創業者の栄氏が死去。次男の洋司氏に後を託すことになるが、あいにく当時はまだ高校生だった。洋司氏が経営を引き継ぐまでは栄氏の妻や創業時のメンバーが中継ぎしながら、70年に新潟県小出町(現・魚沼市)、74年には同県の守門村(同)に工場を新設するなど事業を拡大した。
工場にはドイツ製やスイス製など最新の高精密切削機を導入し、リーマだけでなくカッターやドリルといった他の切削工具のラインアップも増やしていった(両工場は81年に新潟工場建設に伴い統合)。ただ、事業は順風満帆ではなかった。2004年10月、新潟県中越地方を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生。地盤沈下もあり、工場は被害を受ける。
4代目の洋司氏は、さまざまな切削工具の製造装置を導入し、栄工舎を世界市場で競争できる企業にしたが、今年2022年6月に逝去する。同月、43歳の越智宏晃・取締役営業本部長が急きょ代表取締役に就任することになった。越智氏は洋司氏の娘婿。大阪出身の越智氏は結婚前だった24歳の時、洋司氏から「3K(きつい、汚い、危険の意)職場だがいいか」と入社の誘いを受ける。
バックパッカーとして海外でワーキングホリデーの経験もあった越智氏は「アルバイトなどでいろんな経験を積んでいたので気にしなかった」と入社を決める。ただ、娘婿だからと言って厚遇されるわけではなく、平社員からのスタート。将来の経営トップを約束されていたわけでもなかった。
取引先の訪問や、見積書の発行といった営業マンとしての下積みを経て11年後、新潟工場に副工場長として赴任。製造の現場経験を積むことになる。「仕事を覚えるため工場の全工程を回った」(越智代表)。慣れない機械作業時に砥石(といし)で指を削ったこともあり、複雑骨折の傷痕が今も痛々しく残る。赴任1年後には工場長へと昇格。飲み会などを通じて従業員とのコミュニケーションを図るなど、経営者への経験を積んでいった。
「リーマの品ぞろえは恐らく世界一」と自負する。栄工舎の製品はリーマ、ドリル、カッターの他、先端だけでなく横にも刃があるエンドミルなどの幅広いラインアップをそろえる。その数、約4万5,000種。リーマでも高速度鋼(ハイスピードスチール)が素材の「ハイスリーマ」、より高精度の切削ができる合金素材・超硬の「超硬リーマ」が主力だ。そのほかにも「ハイスドリル」「ハイスカッター」「ハイスエンドミル」「超硬カッター」「超硬ドリル」「超硬エンドミル」があり、「顧客の要望にはほとんど応えられる」という。
顧客から「こんなリーマができないか」といった注文が寄せられることもあり、既存製品にない特注にも対応する。金属加工のみならず、医療用の樹脂素材を切削するリーマも開発した。「樹脂用超硬リーマは世界で栄工舎だけ。必ず需要がくる」と先を見据えた製品にも力を入れる。
越智代表は、これまでの営業や工場など一通りの経験があるため先代の急逝によって引き継いだとはいえ気負いはない。切削工具メーカーとして安定した事業を展開しているが、次に見定めるのは海外市場だ。
栄工舎の海外進出は既に台湾を皮切りにタイ、インドネシア、ベトナム、韓国、中国といったアジア諸国に加え、米国、ドイツ、オーストラリア、メキシコなど20カ国・地域以上に及ぶ。ただ、売り上げに占める海外比率はまだ1割未満だという。
公益財団法人・大田区産業振興協会の海外支援事業も活用し、ドイツ、中国、ベトナム、タイなどの国際展示会にも積極的に参加する。ドイツの展示会では世界的な玩具メーカーの関係者が栄工舎のカッターを見て「これが欲しかった」と絶賛。取引へとつながった。協会の支援について、越智氏は「海外の主催者との交渉や出展への同行、通訳の手配などの支援があり、中小企業でも気軽に海外展示会に出展できた」と振り返る。
海外事業の拡大に向け、外国人の従業員も採用。現在はスリランカ人とネパール人の2人が、現地語だけでなく多言語を駆使して海外営業に取り組んでいる。新潟工場では20年に「IT課」を新設し、工程管理などの効率化を果たした。
「日本は製造業の後継者不足があり、国内市場も飽和状態だ。海外にはまだまだ市場開拓の余地がある」と越智代表。新潟工場にはリーマやドリルなどの製造機械を約250台有する。それでも海外販売を拡大するため、総額1億7,000万円以上の設備投資を行った。そのうち1億円分は、世界一硬いといわれるダイヤモンドを切削工具に加工する機械だという。
栄工舎の強みは約4万5,000種という工具の品ぞろえだけではない。最終的に仕上げる穴の直径に1,000分の1ミリの誤差しかないという精密な技術力だ。現場でもIT化が進み、製造機に数値を指示すれば製品自体はできあがる。しかし、越智氏はそれだけでは駄目だと語る。「先端部分の仕上げなどには人の手が欠かせない。製造機械や測定器の充実に加え、経験が物を言う」と強調する。特注品などの要望に「すぐに対応できる」スピード感も重視する。
技術力には絶対の自信がある。「『困ったときの栄工舎』になる」(越智氏)。豊富な刃物で顧客のあらゆるニーズに応え、同社はさらなる飛躍を目指している。
超硬樹脂用リーマ(栄工舎の公式ユーチューブより)