東京都中小企業振興公社の初の海外拠点として2015年に設立された「Tokyo SMEサポートセンター タイ事務所」。タイへの進出を検討する企業に対する各種の相談や市場調査などに加え、在タイ企業に対しては、法務や税務、会計、人事・労務などの専門家に相談する機会を無料で提供している。今年6月20~24日に開催した「Tokyo SMEビジネスウィークin Thailand」では、法人材育成や人事・労務、会計・税務、法務など幅広い分野の相談員を講師として、タイの駐在員向けの連続オンラインセミナーを実施。実際にタイで経営に携わる現地法人の社長も登壇し、マネジメントや人材育成にまつわる経験談や、同様の課題を抱える駐在員に対するアドバイスを語った。
日本企業がタイで仕事をしていく上で、タイ人と一緒に会社を経営し、マネジメントをしていくことが前提となります。その上で、タイ人の気質や、その背景となる歴史や文化を理解することは、避けては通れません。タイ人は「和」を大切にすることや年功序列を重視することなど日本人との共通点が多い一方、注意すべき点もあります。人前での注意を極端に嫌うことなどは、代表的な部分です。日本から来た駐在員がタイ人の社員や取引先と協働していくためには、両者の共通点と相違点を認識し、相違点については各種のルールをはじめとする「仕組み」を導入してカバーし、定期的にメンテナンスしていくことが必要になります。
例えば、日本人がタイで仕事をする上で、必ずと言っていいほど直面するのがコミュニケーションの問題です。私はタイ人と日本人のハーフですが、タイ語と日本語、英語の間にはニュアンスの違いが生まれることが多いと感じます。優秀な通訳を付けたとしても誤解が生じることはあり、重要な話は必ず文書化する決まりにするといった仕組み作りをお勧めしています。タイ人は会社に魅力を感じるよりも、上司の人柄を重視する傾向があります。コミュニケーションの溝を克服し、「率先垂範」「現場主義」でぜひタイ人社員との良好な関係を築き、事業を発展させてほしいと思います。
人事・労務には、駐在員や出張者のビザ(査証)の手配から労務交渉、社内不正の防止・事後処理など、幅広い分野が含まれます。過去に相談が寄せられた案件だけでも、休暇制度や評価制度の運用、社員の試用期間や解雇に関するルール、社員や取引先の横領や役員による不正の対処といったものがあります。横領や不正が起きてしまえば、資金の回収や事後処理に多大な手間と時間がかかります。一方で、典型的なパターンを想定し、あらかじめ予防策や抑制効果がある対策を講じておくことで、損失をある程度抑えることが可能になります。
保証金については現金でのやりとりをなくし、領収書の管理や日頃からお金の流れをチェックする体制を作っておくことなどが重要です。また、タイでは各種の決裁権やサイン権など、現地法人の社長に権限が集中する傾向があり、不正が起きやすい状況があります。特に新型コロナの影響で、本社の社員が書類や契約書の原本を確認するのが難しいこともあり、現地に対するガバナンスが効きにくい状態が続いているので注意が必要です。対策としては、現法社長の権限をある程度制限したり業務内容を透明化する工夫や、内部通報制度を整備することをお勧めします。内部通報制度では、日本語や英語だけでなく、タイ語でも利用できるようにするとより効果的です。このような制度を設けるだけでも、不正を抑制する効果が見込めるでしょう。
タイ現地法人の会計や税務について、実務は担当者に任せるとしても、責任者がいくつか押さえておくべきポイントがあります。まず、タイにおける日系企業のほとんどにはタイ独自の会計基準である「TFRS For NPAEs」が適用される点です。また、全体像をつかむためには、財務諸表の提出や会計監査、株主名簿の提出など年次のスケジュールを押さえておくことも重要でしょう。会計や税務について不明点などがある場合、現法責任者が自分で解説記事などに目を通すケースもあると思いますが、その場合も会計士や税理士などの資格保有者や大手会計事務所や監査法人の担当者といった専門家によるものなのか、あるいは監修しているものなのかといった点に注意し、情報を取捨選択する必要があります。問題が起きた際には、専門家にすぐに相談できる体制を取っているかも重要です。知り合いに相談することもあるかと思いますが、専門家でない場合は正確性や責任の観点から、鵜呑みにはできません。できれば複数の専門家に意見を聞くことをお勧めします。
事業を展開していく上で、タイ人の経理スタッフが「やらないこと」を理解していくことも大事です。スタッフは決算のまとめや税務といった「過去」のことはやってくれても、資金繰りや競合他社の信用評価といった「未来」の事業に関わることは担当外となります。タイでは企業の財務諸表を無料で閲覧できるデータベースなどもありますので、「未来」の事業についてはタイ人に任せきりにするのではなく、ある程度自分でやってみて、不明な点を専門家に相談するというスタンスがいいのではないかと思います。
タイの現地法人の法務を監督するにあたり、「労務管理」や「会社法」「債権管理」、タイ版の「下請法」といった基本的な法律についてはある程度理解しておき、問題があれば専門家に相談できるようにしておくことが大事です。また、今年6月に施行された「個人情報保護法(PDPA)」のように、事業に大きな影響を与える新しい法律の動向にも注意が必要になります。
タイの労務管理でいえば、賃金や時間外労働に対する給与の算出方法の規定などで日本と考え方が異なる部分があります。例えばタイで従業員に時間外労働をしてもらう場合には、従業員の事前の同意が必要となります(一部例外あり)。時間外労働手当は1時間あたり時給の1.5倍以上を支払い、休日労働手当は1倍以上を支払います。休日出勤で時間外労働をした場合の「休日時間外労働」の手当は1時間の労働に対して時給の3倍以上を支払うことになります。これらを合わせて、時間外労働が1週間で36時間を超えることは禁じられています。また、時給の算出方法も日本とは異なる計算式を使います。時間外労働が禁止されている職種、反対に従業員の同意がなくても時間外労働が認められるケースもあります。このほか、休暇や解雇などに関する規定についても、タイ独自の規定がありますので、機会を見て確認しておくことをお勧めします。
南武の現地法人「南武CYL(タイランド)」は2002年に設立され、自動車のアルミ部品や油圧シリンダーを製造しています。従業員は64人で、日本人は3人、インド人も2人います。私は2013年から7年半、タイに駐在しました。着任した時点でタイでの市場シェアは高かったので、タイ国内よりもインドやインドネシアといった海外市場の開拓が主な課題でした。
現地法人の責任者として心がけていたのは、いかにして現地社員とうまくコミュニケーションを取り、意図を正しく伝えるかということでした。なるべくタイ語で話をしていましたが、難しい事柄を扱うときは通訳を使っていました。通訳を入れることで、やりとりの内容について証人になってもらうという意味合いもあります。
人員の定着についても、飲み会やイベントなど、いくつか対策を立てていました。一例として、月1回のペースで、「マネジャー・ミーティング」と名付けて食事会をしてもらいました。単なる飲み会ではなく、情報交換や相談を主眼として、タイ人だけでやってもらっています。新型コロナが流行する前には、日本の研修に毎年2~3人を派遣していました。社歴が長い順に派遣し、本社で研修を受けてもらっています。本社の社員の「顔」が見えるようになることで、日本からの依頼にも前向きに取り組むようになり、会社側の考えを理解するようになるといった効果があります。
中興化成工業のタイ法人中興ケミカル(タイランド)は、フッ素樹脂をはじめとする機能性プラスチック製品などを自動車部品や半導体メーカーに販売する会社で、タイ人は9人という体制です。営業マンの教育についてはタイ人同士で教えるのを基本とし、商品の用途例などについては日本人が教えています。小さな会社なので、質問しやすく、意見を出しやすい雰囲気作りを目指しています。気をつけているのは、自分が全ての答えを与えることは慎み、会議などでは喋りすぎないようにしていることです。また、新しいことに一緒にチャレンジするという方向付けも心がけています。例えば、アイデアを出した回数などに応じてポイントを付与する「アイデア提案制度」では、上位者が本社から表彰されます。やる気がある社員に対してリターンを与える仕組みです。
私が赴任したのは2018年1月だったので、過去2年は新型コロナ禍だったことになります。顧客に訪問できず、営業活動に制約があるなか、本社の支援も受けてデジタルマーケティングを推進しました。動画を作成し、会社案内や製品情報を配信することで、商品の訴求を試みました。また、社内でも顔が見える環境を作ることが大事と考え、月曜日の朝に15分ほどの短いミーティングを開きました。全体としていえるのは、1人のいいスタッフがいれば状況が大きく変わる、ということです。そのキーパーソンを育てるために、あえて「特別扱い」をして食事に誘ったりということもありました。また、交友関係を広く持ち、悩んだときに相談できる人を社外に作ることも大事だと思います。そのためにはゴルフなどに参加するのもひとつの手段かも知れません。
東京都中小企業振興公社は2015年に「Tokyo SMEサポートセンター」タイ事務所を設立しました。進出支援や市場調査に加え、相談員の方々の協力を得て法務や税務、人事・労務といった各分野で2,000件以上の相談を受け付けていきました。商談会などを含めたマッチングも含めると、5,000件以上となります。無料相談やマッチング事例を通じて、企業の成功例・失敗例ともに多数の事例が蓄積されており、多くの日系企業に役立てると考えています。
2年以上にわたって続いたコロナ禍がタイではようやく落ち着きつつあり、今年5月くらいからは各社が海外投資を再開させる動きが出てきていると感じます。タイでの展示会も再開されたことで、現地でのパートナー企業や販路を求めて視察に来られる企業も増えてきました。Tokyo SMEは15年にタイ工業省と提携を結んでおり、タイ企業と日系企業の交流会や商談会の開催を通じてマッチングを支援してきました。21年2月にはオンラインで商談会を開催しましたが、大きなテーマのひとつが食品でした。「賞味期限を延ばす」「代替肉の新技術を導入する」「自動化を推進する」といった、タイの食品メーカーが抱える課題を明確にし、関連のノウハウを持つ日本企業が協力を申し出るという形式で実施しました。食品に限らず、多くのタイ企業は、環境技術などを含め、サプライチェーンの質を高めることを目指しています。コロナ後も原材料費の高騰や円安など多くの課題がありますが、新しいビジネスの環境下で日本企業の技術力や信頼感をタイで生かせるよう、Tokyo SMEとしても支援して参りたいと思います。