切削、穴開け、曲げ、溶接、プレス、研磨、めっき、組み立て、設計――ものづくりに関わるさまざまな技術力を持った製造業4,200社が集積する東京都大田区。現代のグローバル化したものづくり時代にあっても、その創意工夫と高い技術力で存在感を示し続けている。成長するアジアでの高度なものづくりを支え、アジア市場に挑む大田区企業の活躍を追うシリーズ。今回は、入れ歯など義歯の製造加工で5年前にタイ・バンコクに進出を果たした株式会社三和デンタルを紹介する。狙うのは勃興するアジアの46億人市場だ。
株式会社三和デンタル代表取締役 菅沼 佳一郎
柔らかく美しいその入れ歯には金具がない。入れ歯といえば、金属製のフックで残った歯に固定して装着する。だが、この入れ歯「スマイルデンチャー」は、強度と柔らかさを兼ね備えた特殊なプラスティックで歯や歯茎の色に合わせてフックが作られるため、口を開けて笑っても入れ歯が入っているとは気づかれにくい。
「金具がなく審美に優れた入れ歯だからこそ、患者は笑顔になれる。だからスマイルデンチャーと名付けた」と、株式会社三和デンタルの菅沼佳一郎代表取締役社長(70)は微笑む。
菅沼社長は2000年代初頭、台湾や中国、米国などの歯科技工の展示会などを視察した。「まるで市場の規模が違う。さまざまな歯科技工物の即売会を開いたりして活気があった。大人しく閉鎖的で、他から参入できないようになっている日本の業界と異なり、みんな生き生きしていた」ことに衝撃を受けた。当時の日本にはなかったこのスマイルデンチャーの可能性に注目した。
その後、菅沼社長自ら中国を北から南まで15都市ほどを1年間ほどかけて訪ね歩くことになる。日本の高い要求に叶う技術力を持ち、また快く協力してくれる歯科技工所をなんとか北京に探し当てると、2004年からスマイルデンチャーの日本国内への導入を実現させた。
だが、時代はまだ早かった。中国から輸入された冷凍餃子から有毒物質が見つかった「毒餃子事件」や反日デモなどが発生していた頃。口腔内に装着する中国製歯科技工物への抵抗感は強かった。マスコミに大々的に取り上げられたほか、導入をめぐって業界団体から反発があり、強い逆風が吹いた。
強度と柔らかさを兼ね備えた「スマイルデンチャー」
業務提携をしている中国・北京のBeijing Liaison Dental Technology Co., Ltd
普通の人ならとうに諦めていただろうが、菅沼社長は粘り強かった。厚生労働省や都道府県の管轄部門などに何度も問い合わせ、導入に問題がないことを確認し、海外で製作をする新たなモデルを作り上げた。
菅沼社長は1982年の創業当初、歯科技工について全くの素人でありながらも大田区と川崎市に地域を絞った歯科医への営業活動で、歯科技工物の受注を少しずつ増やしてきた経験があった。ただ赤字と黒字のすれすれを行ったり来たりの不安定な経営が長く続いており、付加価値の高い、利益を生み出してくれる新しいビジネスモデルを必要としていた。
「スマイルデンチャーは日本ではまだ馴染みがない。これまでのように地域にこだわらず、いっそのこと全国で売っていこう」と、北海道から沖縄まで各地の歯科医に呼びかけてセミナーを開催することにした。これまでの地域を絞り込んだ営業から、スマイルデンチャーという商品に注力して全国展開する戦略に大きく転換する一点突破に賭けたのだ。
当初のセミナーには、数十万円の宣伝費をかけても3~4人の歯科医しか集まらないこともあったが、徐々に認知されるようになり、全国から歯科医150人が集まるまでになった。
スマイルデンチャーの装着は医療保険の適用対象外で料金も高くなるが、審美に優れていて患者の選択肢が増える。歯科医や技工所も注目せざるを得なくなった。地道な活動で、逆風はいつの間にか追い風に変わっていた。
三和デンタルはかつて全体の9割が医療保険対象の製作物を取り扱っていたが、現在では完全に逆転し、医療保険対象外が8割を超えるほどになった。この時代の流れの中で、スマイルデンチャーという強みを手にした三和デンタルの売上高は順調に伸び続け、2019年度は11億円余り、経常利益は1億円を超えた。この業界で経常利益率が10%を超えることは珍しく、健全経営の優良企業として金融機関などからの高い信頼も得るようになった。
デジタル×歯科技工技術で一人ひとりに合った技工物を製作していく
2015年10月には、タイ・バンコクに自社の歯科技工所を開設した。三和デンタルにとっては初めての海外拠点だ。昨今は新型コロナウイルス感染症や米中貿易戦争などさまざまな海外リスクが顕在化している。中国に各種歯科技工物の製造を依存している強みは、時として弱みにもなる。タイ進出はこうした海外リスクを分散する意味合いもあったが、菅沼社長は「本格的なアジア展開の足場を築きたかった」と強調する。バンコクでは不動産探しから会社設立、従業員の採用まですべて自社で行った。「時間もかかり大変だが、何かあった時の対応力が培われた」という。
当初は現地の日系コンサルタントに相談には行ったが、コンサル費用は高額にもかかわらず、進出する企業の経営持続性などを十分に考慮した内容とは感じられなかった経験がある。
2015年に設立した三和デンタルタイランド
タイをはじめ広く海外進出をサポートしている大田区産業振興協会に対しては、「現地の実務を熟知し、信頼のおけるコンサルや法律事務所とつなぐ役割も果たして欲しい」との期待を話す。
なぜ三和デンタルはタイに来たのか?――その理由に内外に答えられるようにしたいと、菅沼社長は3つの大義名分を掲げた。「タイの恵まれない若者が技工技術の修得し、技術力と人間力で自立する」「タイ市場でMade by SANWAのブランドを確立し、歯科技工の技術向上に貢献する」「経済が勃興するアジアのど真ん中で事業展開する」――の3つだ。
特に組織の基盤となる人づくりに力を入れた。たとえどんな境遇で過ごしてきたとしても、三和デンタルで学べば手に職を付け、自立して生活できるようになる。
ビジネスをやらせてもらう以上は、現地社会に貢献したいという菅沼社長の強い思いがあった。北海道・稚内で貧しい暮らしをしていた自身の幼少期の記憶が、根底にあるのかもしれない。
「会社経営はトップの人格が反映するもの」。JALの経営立て直しにも取り組んでいた京セラ創業者・稲盛和夫氏の盛和塾で学んだこともある菅沼社長は、稲盛氏のこの言葉を肝に銘じている。従業員には細かな技術よりも、人としての在り方や人生哲学を学んで欲しいと立ち上げた、新人社員向けの社員研修「翔龍塾」では、古典を用いながら人間力を高める勉強会を行っている。タイでも日本と同じように社員教育を行い、現在は社員40人が活躍するまでの組織に成長した。
歯科技工免許を持つ営業が現地スタッフを教育し、歯科医院より技工物の製作を受けて納品するようにもなった。現在、現地で受注した技工物製作のみでの黒字化を目指し取組んでいる。
三和デンタルがタイ拠点から眼差しを向けるのは、勃興する東南アジア市場、さらにはインドを含めた人口46億人のアジア市場全体だ。
タイ拠点には今年新たに4,000万円の投資を決め、コンピュータを利用して歯科技工物の設計を行うCAD/CAMシステムのほか、三次元での金属積層造形ができる設備を導入する。軽く、生体親和性に優れた金属として歯科技工物へ応用されるチタンを積層造形により製作する。従来の鋳造法ではできなかったチタンの精密な技工が可能となる。
CAD/CAMシステム、3Dプリンターなども積極的に導入
日本の歯科技工所ではまだ1社もできていない最新技術をタイに先行導入する。
「タイ拠点は、いずれ日本より大きくなると社員たちに話している。アジアで一歩を踏み出す投資だ」と菅沼社長。口腔内の三次元デジタルデータをインターネットでやりとりする時代になりつつあり、「タイ拠点からは、技術の高い歯科技工所が足りないとされるインドネシアなど東南アジア市場を狙えるようになる。さらにインドなどを含めた46億人のアジア市場も視野に入ってくる」と意気込む。
世界の歯科技工市場は8兆円にもなるといわれる。デジタル化で世界を相手にできるようになればこそ、「精工な技術とサービス体系を持つ日本の歯科技工が存在感を増す時代になるだろう」と菅沼社長は未来を見据える。若い頃、毎日のように手帳に書き込んだ「年商200億円の企業をつくる」という大きな夢が、海外戦略を進める中で現実味を帯びようとしている。