“切削部品の百貨店”と形容される工場が、タイ東部チョンブリ県のアマタナコン工業団地にある。金属切削部品加工メーカー、平岡産業(東京・青梅市)の子会社E&Hプレシジョン(タイランド)のタイ工場だ。従業員数1,250人、自動旋盤650台に各種加工機150台という圧倒的な規模はアセアンで最大級。自動車、二輪車を中心に、音響、家電、OA機器、釣具、玩具、医療、航空など幅広い部品を製造する。どんな細かい要望にも迅速に応えることをモットーとするE&Hプレシジョンは、顧客の要望により早く対応するために稟議申請の電子化などワークフローの改善を試みた。
平岡産業の前身である平岡織物は、1907年に青梅で創業。当時の青梅は甲州裏街道の宿場町として栄えており、布団や枕カバーに使われる織物「夜具地」の製造を手掛けていた。70年代に入ると、多くの織物メーカーが安価な労働力を求めて海外へ生産拠点の移転を始めたが、その流れには乗らなかった。72年に社名を平岡産業に変え、現在の金属加工メーカーに転身する。
二度目の転機は90年代にやって来た。85年のプラザ合意以降の急激な円高は、取引先の自動車メーカーや家電メーカーの海外移転を加速させた。かつて織物工場がそうであったように、いずれ金属加工の主戦場も海外へと移るだろう。タイ進出の決断は早かった。95年にE&Hプレシジョン(タイランド)を設立。翌年には従業員18人、自動旋盤25台の規模で工場を稼働させた。
カーステレオ向けの部品製造からスタート。当時のタイは、同業の自動旋盤工場がまだ少なかったこともあり、仕事は順調に増えたという。同社の経営理念は「一所懸命」。顧客からの多種多様な要望に誠実に応える姿勢は、タイでも評判に。仕事が仕事を呼び、2000年代に入ると日系自動車メーカーのサプライヤーに選ばれる。評判を聞きつけた自動車メーカー側からのオファーだった。
アセアン最大規模の切削加工メーカーとなった現在の従業員数は1,250人に増え、売り上げの9割近くを自動車と二輪車部品が占める。主力製品はインジェクターという燃料噴射装置に使われる部品。ドイツ企業からの引き合いも多い。製品全体では、輸出も合わせると世界15カ国で140社に納品している。
順調にビジネスを拡大する一方で、進出当時と比べるとライバルも増えている。低価格が売りの中国企業も技術力を上げた。自動旋盤業は、ある程度技術が上がると差別化が難しいという。
同社の強みは他を圧倒する規模。タイでは自然災害や政治的な問題で、生産活動に影響が出ることもあるが、タイ工場の巨大な製造ラインは簡単には止まらない。供給が安定しているということは、顧客の信頼に繋がる。加えて技術開発から工程設計、試作、生産までをタイ工場が統括して一気通貫で行うことで、新興国並みの低コストと短納期を実現している。顧客のあらゆる要望に応え、“切削加工の百貨店”と呼ばれる所以がここにある。
カーステレオ向け切削加工部品。微小な高精度加工が特徴
E&Hプレシジョン主力製品のインジェクター部品
E&Hプレシジョン(タイランド)サポート部門の柴田直紀マネージャーは、スピード対応の重要性をこう語る。「極端な話、試作品を明日までに欲しいと言われることもあります。無茶な要望に聞こえますが、それに応える姿勢が評価される。そこで、すみません3日くださいでは土俵にすら乗れない」。対応の遅れが受発注を左右するのだ。
スピードを重視するなかで、思わぬ改善ポイントは身近にある。現場では最新設備を導入する一方で、社内のワークフローは手書きか、エクセルに入力したものを印刷して回覧していた。稟議申請の場合、同社では最大で5人の承認が必要となる。紙で回っていると時間もかかり、どこまで進んでいるかが見えない。さらに決裁権者は海外出張も多く、ひとりの承認を得るのに1週間、全員終わるころには半月かかるというケースも。製造現場ではスピード重視を掲げる一方で、無駄に何十日もかかる業務がそこにある。
kintone導入時の打ち合わせの様子
こうした課題を改善すべく、ワークフローをオンライン上で管理、実行できるシステムを探した。たどり着いたのは、グループウエア大手のサイボウズ(東京都中央区)が開発した、クラウド上で業務システムを作成するソフトウエア「kintone(キントーン)」だ。プログラミングなどシステム開発に必要なスキルがなくても簡単に導入でき、世界で9,000社に採用されている。近年はアセアン全域でも実績を伸ばしている。
「いくつかの製品を比較検討しましたが、決め手は導入までのスピードでした。2~3カ月は覚悟していましたが、オーダーから2週間で稼働できたのには驚きました。」と柴田氏はkintone導入の経緯を振り返る。他社のシステムはサポート部隊がアメリカにしかなく、時差があるため質問の回答などに時間がかかったという。スピード重視のE&Hプレシジョンらしい理由だ。サイボウズはkintoneのタイでの販売・サポートパートナーとしてマテリアル・オートメーション(タイランド)(MAT)と業務提携している。今回もMAT社が現地で導入を支援し、ひとつ目の稟議書アプリの運用開始を2週間で実現した。
加えて、直感的で使いやすいユーザーインターフェース(画面)や、ドラッグアンドドロップのマウス操作で簡単にシステム変更などができる点も、日本人でもタイ人でも年齢問わず使いやすいと好評だという。利用端末はパソコン(PC)、スマートフォン、タブレットに対応し、オフィス、移動中の車、出張先のホテルなどインターネットにつながりさえすれば、どこからでも利用できる。kintoneを導入して最初の稟議申請は4人の承認プロセスが必要だったにもかかわらず、2時間半で全員の決裁を完了した。半月かかった業務が2時間半に短縮したとなれば、そのスピードがビジネスに与える効果は大きい。
kintoneの利用料は1ユーザーあたり月500バーツ。E&Hプレシジョンでは、従業員のうち業務でパソコン(PC)を使用する約200名にアカウントを渡している。kintoneは、その中で作成する業務システムが増えても1ユーザーあたりの利用料は変わらない。将来的にシステム化したい業務や実現したいことを考えたときに、他社のシステムと比較してコストを抑えられる点も、kintoneを採用した理由のひとつだ。
そのほか休暇申請や、議事録共有、新規サプライヤーの登録申請もkintoneで行っている。新規サプライヤーの登録は、購買部や経理部など部門をまたいだ確認が必要になる。環境保全のための国際基準であるISO14000をそのサプライヤーの材料が満たしているかについて、成分表と照らし合わせるなどのフローもアプリ上で行うことで、作業時間の短縮につながっている。
E&Hプレシジョンは充実した設備に頼りすぎず、熟練者の技術伝承と人材育成を大事にしている。今後は、社員のトレーニングデータをkintoneに取り込み、誰がどのコースを受けてスコアが何点でどのレベルにあるのかを一括管理したいという。さらに、膨大な設備の稼働状況のデータをセンサーで集めてkintone上で見える化するなど、アイデア次第でいろんな業務アプリを簡単に作成できる。応用の可能性は無限大だ。
同社の主力製品はインジェクターという自動車の燃料噴射装置。「自動車業界は近い将来EV(電気自動車)が主流になります。そうなれば燃料は噴かなくなる。その前にモーター向けの部品を強化し、医療や航空、IoT(モノのインターネット)など今後どこのニーズが伸びるかを見定める必要があると思っています」と柴田氏は次のフェーズを見据える。12年にインド工場、17年にメキシコ工場を開設し、グローバルな供給体制も拡充している。挑戦をやめないE&Hプレシジョンは、kintoneを活用した新しい働き方でこれからも世界のメーカーを支えていく。
E&Hプレシジョンが作成した新規サプライヤーの登録申請画面
自社でカスタムしたヘッダーのイラストは、すでに多拠点での活用を見据えている
左から、ITチームのアピチャット氏(アシスタントスーパーバイザー)、オラワン氏(コーディネー
ター)、ソムルタイ氏(プログラマー)、柴田マネージャー